『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教220

クルアーン節の朗誦後の説教 


(この灯は)アッラーの許しによって、建てられた家の中にあり、かれの御名がそこで唱えられ、朝夕、そこでかれを讃えて唱念が行われる。人びとは、交易や商品に惑わされないで、アッラーを念じ、礼拝の務めを守り、定めの喜捨に怠りなく、かれらの恐れは心も目も転倒する日である。(聖クルアーン24章36‐37節)

誠に、至大至高のアッラーは、かれを思い出すことを、心の灯とされた。聾唖であってもかれの御助けで聞こえ、盲目であってもかれの御助けで見、御し難きもかれの御助けで服従する。

価値あるものはアッラーの恩恵なり。預言者が存在しなかったどの時代にも、アッラーがその知力を介して囁き、心を通して語った人びとがいた。彼らの耳、眼、心の覚醒の助けにより、彼らはアッラーの時代を他者に思い出させ、荒野の道標のようにアッラーを畏怖させた。中庸の道を選ぶ者を称賛し、救いの吉報を与えたが、正しい道を行った後で去った者にはそれを非難し、破滅で恐怖させた。このようにして、彼らは暗黒の灯となり、疑惑から導いた。

アッラーを思い出すことに献身的な人びともいた。彼らは世俗の物事の代わりにそうすることを選び、商品や交易のために顔を背けなかった。彼らはその中で人生を過ごした。アッラーが不法とされたことの警告を、怠慢な人びとの耳に語り、正義を行うよう命じ、彼ら自身がそれを実践し続ける。非合法のことを慎むようにさせ、彼ら自身がそれを慎む。まるで現世から来世への旅を終え、この世の先にあるものをじっくり見ているかのように。
したがって、彼らはそこでの長い滞在の間の割れ目で起きることはすべてわかっていた。
そして審判の日が彼らのためにその約束を果たす。したがって、彼らは全世界の人びとのために、これらのことを隠す幕を取り外した。まるで人びとが見なかったことを見、人びとが聞かなかったことを聞いていたかのように。

彼らの称賛に値する姿勢とよく知られている座席を心に浮かべてみたとする。彼らの行為の記録の書を開いて、命じられたことでやり損なった大きなことも小さなことも、禁じられていたが欲望を満足させてしまったことに関して、彼らの勘定書を提出する準備をし、彼らの背負うことの重さに気づき、それを担うには自分があまりにも弱すぎると感じ、彼らはさめざめと泣いて、泣きながら互いに話しかけ、アッラーへの悔悟に深く嘆き悲しみ、(自分の不足を)認めるとき、彼らが導きの象徴であり暗黒の灯であるのを知るであろう。天使が彼らを囲み、平安が彼らの上に降りてくる。天空の扉が彼らのために開かれ、アッラーが彼らに知らせていた、栄誉の位置が彼らに与えられる。したがって、かれは彼らの行為を正しく評価され、彼らの地位を称賛される。彼らはかれを呼び、赦しの空気を吸い込み、かれの恩恵を常に必要とし、かれの偉大さの前で謙虚であり続け、彼らは長いこと悲嘆して心を苦しませ、長いこと泣く。彼らはアッラーに向かう扉をすべてたたく。彼らはかれに求める。寛大でも貧窮なさらぬ御方、かれを求めて近づく者を落胆させない御方に。
したがって、あなた方は自身のために自身を問え。他の者を問うのはあなた以外の人なのだから。




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