『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教139 

他者の悪口をいうことについて〈注〉 


罪を犯さず、(罪からの)安全を授与された者は、罪人や不服従な人びとを気の毒に思って
やれ。(安全を授与された)彼らの満足は主として感謝の念でなければならない。
それによって他者の欠点探しが妨げられねばならない。
兄弟の非難や欠点探しをする者の悪口はどうであろうか? 
彼が指摘する兄弟の罪より彼自身が犯した罪の方が大きいとき、アッラーが自身の犯した罪を御隠しになったことを覚えていないのだろうか? 
自分自身も同じような罪を犯しているというのに、どうして兄弟を悪く言うことができるのか? 
同じような罪を犯していなかったとしても、彼はもっと大きな罪を犯しているかもしれない。
アッラーにかけて、大罪ではなく小さな罪しか犯していなかったとしても、他人の罪を暴露する行為そのものが大罪なのである。

おお、アッラーの被造物よ、他者の罪を暴露することに急ぐな。
その人は許されるかもしれないのだから。小さな罪を犯したと思って安心するな。
その罪に罰せられるかもしれないのだから。従って、あなた方は皆、他者の過ちを知っても、
彼自身が己の過ちを知っているのだということを心にとめて暴露してはならない。
他者が満足していることからあなたは守られているのだということに感謝を忘れてはならない。


〈注〉預言者の伝承がある。
預言者が「悪口とは何か知っているか?」と言い、人びとが「神とその使徒こそが御存知です」と言うと、彼はこう言った。「悪口とは兄弟を苦しませるようなことを言うことである」誰かが「兄弟のことでそれが事実の場合はどうなりますか?」と問うと、預言者はこう答えた。「事実であるときのみが悪口なのである。そうでないなら誤って兄弟を責めているのである。」




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