『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教110 

現世に関する警告 


誠に、わたしは現世のあなた方のことを恐れる。
この世は甘く、生き生きとし、過度の欲望に囲まれ、即座の楽しみがあるので好まれる。
現世は小さなことが驚嘆させ、偽りの希望に装飾され、幻覚で飾られている。
喜びは長く続かない。苦悩を避けることはできない。
現世は虚偽、害、移り変わり、消滅、消耗であり、破滅しやすく、悩ませ、破壊的である。
現世に傾く者たちが欲望の極みに達し、現世に喜びを感じるとき、その様子は確かに
栄光のアッラーが仰せになったことである。


それ(この世の生活)はわれが天から降らす雨のようなもので、大地の草木はそれを受けて
茂るが、(そのうち)風に吹き散らされて乾いた株の根となる。
アッラーは凡ての事に力を持っておられる。(聖クルアーン18章45節)

現世を喜べる者は一人もおらず、その後で涙がやって来る。
現世の前列で快適でいられる者はおらず、その後方で困難と直面しなければならない。
その中で安らぎの小雨を受けとる者は一人もおらず、苦境の大雨が彼の上に降る。
現世は朝にはその人を支えても、夜には彼に気づいてくれない。
それだけの価値しかないものである。
一面は甘美で心地よくても、片面は苦く苦痛である。

現世の新鮮さを不安なく楽しめる者はおらず、現世の災難による困難と直面せねばならない。
安全の羽の下を夜に通過できる者はおらず、その人の朝は恐怖の羽の端の下にある。
現世は人を騙し、その中にあるすべてが虚偽である。
それは消滅するもので、その中のすべては消滅するためにある。
敬虔さを除いて、現世が用意するものの中に善はない。
そこからわずかしか取らない者は、自身に安全を与えてくれるものを多く集める。
だが、そこから多くを取る者は、自身を滅ぼすものを多く取る。
彼はまもなく収集したものから旅立つ。
どれだけの数の人びとがそれに依存したであろう。だが、それは彼らを苦しめた。
どれだけの数の人びとがそれに平安を感じていたであろう。だが、それは彼らを倒した。
どれだけの数の人びとに名声があっただろう。だが、それは彼らを卑しめた。
どれだけの数の人びとがうぬぼれていただろう。だが、それは彼らを汚した。

現世の権限は変化している。そこでの生活は汚い。
甘い水は苦く、その甘さは没薬のようである。食べ物は毒である。手段は弱い。
生は死にさらされている。健康な者は病にさらされる。
現世の王国は突然運び去られるものである。
強者は負かされ、富者は災難に襲われるものである。
隣人は略奪されるものである。

あなた方はあなた方以前の人びとの家に住んでいるのではないのか。
彼らは長く生き、もっとよい足跡があり、もっと大きな欲望をもち、もっと大勢で、
もっと偉大な軍隊を持っていたのではなかったか。
彼らがいかに世界のために献身し、それを好むことを示したことか! 
その後、彼らはそれらを伝えられる用意がないままで、若しくは、それらを運ぶための
背がないままで去ってしまった。

この世は彼らの罪をあがなうのに十分なほど気前がよく、どんな援助も与え、
良き仲間を与えてくれたという知らせをあなた方は受け取っていないのか? 
この世はむしろ彼らに困難を与え、苦難で無気力にさせ、大惨事で妨害し、
彼らの鼻をへし折って投げ捨て、ひづめで踏みつけ、彼らを敵にして時の移り変わりを助けた。 あなた方は彼らに対する奇しき現世を観察してきた。あなた方はそれに近付いた者たちに
対する現世の奇異に気づき、それを身につけ、ふさわしくさせた。
やがて彼らはそこから永遠に去る。現世は彼らに飢餓以外に何か食糧を与えたのか? 
狭い場所以外に留まる場を与えたのか?薄明かり以外の光を与えたのか?
悔悟以外に最後に何かを与えたのか?これはあなた方がそれほど求めるものなのか?
満足なままでいられるものなのか?貪欲でいるためのものなのか?
この住処がどれほど悪い所かを疑わず、恐れなかったのか?

わかっているように、あなた方はそこから去らねばならないのである。
あなた方はそのことを知らなければならない。その中にいる間に教訓を学べよ。
「誰がわたしたちよりも力が強いのでしょうか」(聖クルアーン41章15節)と言った者たちは、
しかし、運搬者としてではなく、墓場に運ばれていった。そして客としてではなく、彼らは
墓場の中に留まらされた。彼らのために土で墓場がつくられ、彼らの埋葬布は大地から
作られ、古い骨は彼らの隣人となった。その隣人は呼ばれても応答せず、災難をかわすこともなく、死者を悼む人に心を留めることもない。

彼らは雨を授かってもうれしく感じない。干ばつに見舞われてもがっかりしない。
彼らは一緒にいるが、各自が離れている。
彼らは近くで一緒にいるのに互いを見ることはなく、近くにいるのに会うことはない。
彼らは耐えている。憎しみはない。彼らは無知である。彼らの憎悪は死んでしまった。
彼らには災難の恐怖はなく、災難を振り払いたいという望みもない。
彼らは地面の背を大地の腹(土の中)と交換し、広さを狭さと交換し、家族を孤独と交換し、
光を暗黒と交換した。この世を裸足の裸体で去ったように彼らはこの世にやって来たのである。
彼らは自身の行いと一緒にこの世を去り、終わりなき生命へ向かった。
アッラーがこう仰せになった、永遠の家へ。


……われが最初創造したように、再び繰り返す。これはわれの定めた約束である。われは必ずそれを完遂する。(聖クルアーン21章104節)




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