『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教181 

ナウフ・アル=ビカーリーが報告した。アミール・アル=ムウミニーン・アリー(彼の上に平安あれ)はクーファでジャッダ・イブン・フバイラ・アル=マフズーミーが彼のために置いた石の上に立ってこの説教をした。彼は羊毛の服を着、葉で作られた剣の帯をし、足にはヤシの葉の履物を履いていた。額には(長時間、頻繁にひれ伏した印の)駱駝にあるような硬くなった痣があった。アッラーの属性、被造物、アッラーが物理的制限を超越する御方であることについて語った。 


アッラーに称賛あれ。全被造物の帰り所、すべてのものの終点である御方に。我々はアッラーを称賛する。かれの偉大なる寛大さ、慈悲深い証明、増大する恩恵、御好意にアッラーを称賛する。この称賛がかれの権利を満たし、かれに対する感謝の恩返しとなり、かれの報酬に我々を近付け、かれの親切が増大してもたらされますように。我々はかれに援助を求める。
かれの恩恵を希望し、かれの益を望み、(災難からの)保護を確信し、かれの施しを認識し、
言行でかれに服従する者のように。我々はかれを信じる。確信をもってかれに希望を託し、
信ずる者としてかれに心を傾け、かれの前では謙虚に従順で、かれの唯一性のみを信じ、
偉大さに敬意を払い、荘重さを認識し、かれにすがり、努めてかれの御加護を請う者のように。

栄光のアッラーは、誰かがかれの栄光の配偶者になれるように御生まれになったのではない。死んだ後の相続者もない。時間はかれを追い越さない。かれに増減は生じない。
だが、我々がかれの強力な支配とゆるぎない定めを観察によって理解できるように顕現された。柱がないのにしっかり固定され、支えなしに立つ天空は、かれの創造の証拠のひとつである。かれがそれらを呼べば、それらは億劫がらずに、ひどく嫌がることなく、忠実に、謙虚に応じた。それらがアッラーの神格を認識しないで不服従だったなら、アッラーはそれらのためにかれの玉座を天使の住処および純潔かつ誠実な言行の被造物を復活させるための目的地にはなさらなかっただろう。

かれは地上のさまざまな道をさ迷う旅人の道案内となるように空に星を創造された。
夜の薄暗い覆いはその光を妨げない。空に月光が広がれば、黒みがかった夜の覆いが
その光を消すことはない。アッラーに栄光あれ。大地の低い場所に、あるいは遠くに高くそびえる山々に、夕暮れの薄暗さや夜の暗闇が訪れても、かれから隠れることはない。
天の地平線の雲に雷が鳴っても、雲に稲妻が走っても、暴風やどしゃ降りで落ち葉が吹き飛ばされても、かれから隠れない。かれは滴がどこに落ちてどこに溜まるのか、また幼虫が通った跡、それがどこに這ったか、蚊の十分な生きる糧が何か、雌熊の子宮の中のことも御存知であられる。

アッラーに称賛あれ。玉座、天地、ジン、人間が存在する以前から存在された御方に。
かれを想像で理解することも、理解力で推測することもできない。かれに請い求める者がかれを(他から)逸らすことはできず、また分け与えてもかれは減少しない。かれは眼で見たり、
場所に限定されたりしない。かれに仲間がいると言ってはならない。かれは身体の助けで創造するのではない。五感でかれを知覚することはできない。かれは人をまねて考えられてはならない。

身体の部位や、言葉を発する器官や、のどびこ(人の音声)を使わずに、明瞭にムーサーに
語りかけ、かれの偉大な印を示された御方であられる。おお、アッラーを描写しようと努める者よ、真剣にそうするのであれば、まずジブリールやミカエル、またはアッラーの近くの、気高さの置き場にいる天使の群れを描写してみるがよい。至高の創造主を(描写で)限定させることに、彼らは頭を垂れ、知力が困惑する。というのも、それらは性質によって理解するしかない。
性質には形や部位があり、時の終焉がくると死に屈する。かれの他に神はない。かれはすべての闇をその御光で照らし、(死の)闇ですべての光を暗くさせた。



過去の民の出来事とその訓戒


あなた方、アッラーの被造物に忠告する。あなた方に良い着物を与え、生きる糧を豊かに与えた御方を畏れなさい。永遠の生命への梯子もしくは死を避ける方法を獲得できた者がいたとすれば、それはスライマーン・イブン・ダーウード(彼の上に平安あれ)であった。
彼は預言者性と(アッラーに対する)偉大なる位階のほかに、ジンと人間の領域の指揮する力を与えられたが、(現世で)彼に与えられるべき糧が終わって、定めの時が使い尽くされると、破滅の弓が死の矢で彼を撃った。彼の家は空き家となり、彼の住処は空になった。そこで他の人びとが暮した。
誠に、過ぎ去った世紀はあなた方にとっての教訓である。

アマレク〈注1〉とその息子たちはどこにいるのか? フィルアウンはどこか? 預言者たちを殺し、神の使徒の伝承を破壊して暴君の慣習を復活させた、ラッス〈注2〉の住民たちはどこか? 軍隊を行進させて大勢を倒し、軍勢を動員させて町を殖民した人びとはどこか?



同じ説教より
イマーム・マフディーについて


彼は叡智の鎧を着ている。彼はその鎧に完全な注意を払い、その鎧の完璧な知識を備え、
その鎧に完全に献身して、その鎧のあらゆる状態を確実なものにする。彼にとっては、紛失したものを探す、あるいは必要なことを満たそうとすることに似ている。
イスラームが 困難にあれば、疲れた駱駝が尻尾の先を叩いて首を地に倒すように、また旅人のように、悄然とする。彼はアッラーの最後の証明であり、預言者たちの(任命された)代理人の一人である。

それからアミール・アル=ムウミニーンは続けた。



彼の統治方法、殉教した教友に対する悲しみ


おお、皆の者よ! わたしは預言者たちがその民に説教していた忠告をあなた方の前で明らかにさせた。また、預言者の代理人が彼らの後世の人びとに伝えたことも、わたしはあなた方に伝えた。わたしの鞭であなた方を特訓したが、あなた方はまっすぐになることができなかった。わたしはあなた方に警告して駆り立てたが、あなた方は適切な行為を習得しなかった。
アッラーがあなた方を処置されますように! あなた方を正道に導き、正しい方法を示すためのイマームに、あなた方はわたし以外を望むのか?

警告する。この世の物事は前に向かっていても過去のものとなる。背後にあったものが先を行く。アッラーの高潔な人びとは離れることを心に決め、彼らは獲得した。来世に留まる多くの報酬のために、現世で滅びやすい、少しの悦びを払うことによって。スィッフィーンで流血した我々の兄弟は、今日、生きていないことの苦しみで何を失ったであろうか? 喉を詰まらせて苦しまず、濁った水を飲まないというだけである。アッラーにかけて。誠に、彼らはアッラーと会見し、かれは彼らに報酬を与えられた。そして彼らが恐怖で苦しんだ後、安全な家に彼らを住まわせられた。

正道を選んで公正な道を踏む同胞はどこにいるのか。アンマール〈注3〉はどこか? イブン・アル=タイハーン〈注4〉はどこか? ズッシュ・シャハーダタィーン〈注5〉はどこか? 彼らのような、死を誓って、邪悪な敵に首を斬られた仲間〈注6〉はどこにいるのか。

アミール・アル=ムウミニーンは彼の立派な髭を手でぬぐい、長い間泣いた後に続けて言った。

おお、わが兄弟よ! 彼らはクルアーンを朗誦してそれを増強し、自分たちの義務を熟考してそれを果たした。スンナを復活させ、創意創案を破壊した。ジハードを呼びかけられると応じ、彼らの指導者を信頼して従った。

それから高い声で叫んだ。

アル=ジハード、アル=ジハード(聖戦、聖戦)。おお、アッラーの被造物よ! アッラーにかけて、今日、わたしは軍を動員する。アッラーに向かうのを望む者は前に進み出よ。

ナウフが語った。
それからアミール・アル=ムウミニーンはフセイン(彼の上に平安あれ)に軍勢一万人を先導させ、カイス・イブン・サァド(彼の上に神の御慈悲あれ)にも一万人を先導させた。またアブー・アイユーブ・アル=アンサリーに一万人を先導させ、異なる人数でその他を先導させた。スィッフィーンに戻るつもりだった。しかし、金曜日は再びやって来なかった。呪われたイブン・ムルジャム(アッラーの災いあれ)が彼を暗殺した。そのために軍隊が戻ってきて、羊飼いを失ってあらゆる方角から狼に襲われた羊のように取り残された。



〈注1〉 アマレク:旧約聖書で述べられた古代の放牧民もしくは部族集団で、イスラエ12 部族の一つで、エフライムと密接だったにも関わらず、イスラエルの敵だった。彼らの名はアマレクに由来し、アラビアの伝承で有名だが確認されていない。彼らの領域はおそらくユダの南、アラビア北部とおもわれる。アマレク族はエジプト脱出の際に(シナイ山の近くで)ヘブライ人を攻撃し、ヨシュアによって倒された。


〈注2〉 ラッスの住民: ラッスの住民は預言者の呼びかけを無視して反乱し、不服従であったために破滅した。クルアーンにはこうある。

  またアードとサムードとラッスの住民たち、そしてその間の幾世代。われはそれぞれの民に実例をもって警告し、また(その罪に対し)それぞれを徹底的に壊滅した。(聖クルアーン25章38‐39節)

またアードの民も、ラッスの仲間もサムードも、またアードの民も、フィルアウンも、ルートの同胞も、また森の仲間またトッバウの民も皆使徒を嘘つき呼ばわりした。だから(われの)警告は確実に実現されてしまった。(聖クルアーン50章12‐14節)


〈注3〉 アンマール・イブン・ヤースィルは初期にイスラームに帰依した一人で、自宅に礼拝所をつくってアッラーに礼拝した最初のムスリムだった。(『タバカート』3巻1部178頁。『ウスド・アル=ガーバ』4巻46頁。イブン・カシール『タリフ』7巻311頁。)

アンマールは父ヤースィルと母スマイヤと共にイスラームを受け容れた。彼らはイスラームに帰依したためにクライシュ族から過酷な拷問を受け、アンマールは両親を失った。彼らはイスラームで最初に殉教した男女だった。

アンマールはアビシニアに移住した一人、またメディーナへの初期移住者(ムハージリーン)の一人だった。バドルの戦いに加わり、そのほかの戦いにもすべて加わった。また聖預言者の存命時にムスリムの集まりに加わっていた。彼はイスラームのためのあらゆる奮闘で最善を尽くした人物だった。

多くの伝承で聖預言者がアンマールの美徳を語っている。アーイシャ他の報告によると、聖預言者は「アンマールは彼の頭上の冠から足の裏まで信仰に満ちている」と語っていた。(イブン・マジャ『スナン』1巻65頁。アブー・ナアーイム『ヒルヤ・アル=アウリヤ』1巻139頁、アル=ハイタム『マジュマ・アッ・ザワーイド』9巻295頁、『アル=イスティアーブ』3巻1137頁、その他) 

また、聖預言者はこう述べていた。「アンマールは真実と共にあり、真実はアンマールと共にある。真実が向きを変えると彼も変える。目と鼻が近いように、アンマールはわたしに近い。ああ、悲しや! 彼は反乱者の一団に殺される」(『タバカート』3巻1部187頁。『アル=ムスタドラク』3巻392頁。イブン・ヒシャーム『シーラ』2巻143頁。イブン・カシール『タリフ』7巻268‐270頁。)

また広く知られ、明確である伝承の報告者ブハーリー(『サヒーフ』8巻185‐186頁)、ティルミディー(『アル=ジャーミ・アル=サヒーフ』5巻669頁)、アフマド・イブン・ハンバル(『ムスナード』2巻161、164、206頁。3巻5、22、28、91頁。4巻197、199頁。5巻215、306、307頁。6巻289、300、311、315頁)その他の伝承者および歴史家が25人の教友を介して聖預言者がこう述べたことを報告している。

「ああ、悲しや。真実から逸脱した反乱者の一団がアンマールを殺害するだろう。アンマールは天国に向かって彼らを呼び、彼らは地獄に向かって彼を呼ぶ。彼を殺害した者と彼の服を剥ぎ取った者たちは地獄に入る」

聖預言者の逝去後、アンマールは最初の3代カリフ時代にアミール・アル=ムウミニーンを支持して従った一人だった。ウスマーンのカリフ時代、その国庫分配の政策にムスリムが抗議した際、ウスマーンは皆の前で「国庫は聖なるものでありアッラーに属するので、(預言者の後継者として)自分には適切な分配を決める権利がある」と公言した。ウスマーンのこの発言を非難した人々を彼が脅迫したために、アンマールはウスマーンを激しく攻撃し、国民を無視する彼のやり方を責め、預言者が廃止した異教徒の習慣を復活させたとして非難したために、ウスマーンはアンマールにリンチを科すよう命じ、ウマイヤの数人が彼に手を出し、またカリフ本人も足で蹴り、脱腸させた。アンマールはそれから3日間意識不明に陥り、ウンム・アル=ムウミニーン・ウンム・サラマの家で介護された。(アル=バラズリー『アンサーブ・アル=アシュラフ』1巻35‐36頁。『タバカート』3巻1部185頁。『タリフ・アル=ハミース』2巻271頁。)

アミール・アル=ムウミニーンのカリフ在位中、アンマールは彼の最も誠実な支持者だった。社会、政治、軍のあらゆる活動に加わり、ジャマルの戦い(駱駝の戦い)とスィッフィーンの戦いに加わった。

ヒジュラ暦37年サファル月9日、スィッフィーンの戦いにおいて殉教した。90歳を超える高齢であった。


〈注4〉 アブ・ル・ハイサム(マーリク)イブン・アッ・タイハーン・アル=アンサリーは、最初のアカバに参加した12部族の一人で、二番目のアカバで聖預言者にイスラームを誓った一人だった。聖預言者の時代にムスリムの集りに参加し、またバドルをはじめ、すべての戦いに加わった。アミール・アル=ムウミニーンの誠実な支持者でもあった。ジャマルの戦いに加わった。スィッフィーンの戦いで殉教した。(『アル=イスティハーブ』4巻1773頁。『スィッフィーン』365頁。『アル=イサーバ』3巻34頁。『アンサーブ・アル=アシュラフ』319頁他)


〈注5〉 フザイマ・イブン・サービト・アル=アンサリーは、ズッシュ・シャハーダタィーンとして知られた。聖預言者が彼の証言は二人の証言に等しいとみなしていたためである。聖預言者の存命時、バドルその他の戦いに加わった。早くからアミール・アル=ムウミニーンを支持した一人である。ジャマルおよびスィッフィーンの戦いにも加わった。

アブドル・ラフマーン・イブン・アビー・ライラーの報告によると、彼がスィッフィーンの戦場で敵と勇敢に戦う男を見て、その行為に抗議したところ、その男はこのように言った。 「わたしはフザイマ・イブン・サービト・アル=アンサリーだ。聖預言者が『アリーの傍で戦え、戦え』と言われるのを聞いた」(アル=ハティーブ・アル=バグダディ『ムワッディ・アウハム・アル=ジャム・ワッ・タフリーク』1巻277頁。)

フザイマはスィッフィーンの戦いでアンマール・イブン・ヤースィルが殺された後で殉教した。
サイフ・イブン・ウマル・アル=ウサイディ(嘘つきで有名な人物)は別のフザイマを作り上げてスィッフィーンの戦いで殉教したのはこのズッシュ・シャハーダタィーンではないと主張した。タバリーは無為か否か、サイフによるこの捏造された語りを引用した。タバリーを典拠先とする歴史家たちがその影響を受けている。(アル=アスカリー『ハムスーン・ワ・ミアフ・サハービ・ムフタラク(150の捏造された教友)』2巻175‐189頁参照)


〈注6〉 ジャマルの戦いでアミール・アル=ムウミニーンの側で戦った人びとの中、130人がバドルの戦士(聖預言者時代にバドルの戦いに加わった人びと)、700人はアル=リドワーンの誓い(バイッアトゥル・リドワーン)の場にいた人びとだった。(ダハビー『タリフ・アル=イスラーム2巻171頁。ハリーファ・イブン・ハイヤート『アッ・タリフ』1巻164頁。』)

ジャマルの戦いでアミール・アル=ムウミニーン側は約500人(それ以上という説もある)が殺された。他方のジャマルの人びとは2万人が殺された。(『アル=イクド・アル=ファリード』4巻326頁。) アミール・アル=ムウミニーンを支持してスィッフィーンの戦いに加わった人びとの中、80人がバドルの戦士、800人は聖預言者にアル=リドワーンの誓いを立てた人たちだった。(『ムスタドラク』3巻104頁。『アル=イスティアーブ』3巻1138頁。『アル=イサーバ』2巻389頁。『アッ・タリフ・アル=ヤクービー』2巻188頁。)
ムアーウィヤ側は4万5千人が殺され、アミール・アル=ムウミニーン側は2万5千人が殺された。(アリー側の)この殉教者の25人または26人がバドルの戦士、63人または303人がアル=リドワーンの誓いの人びとだった。(『スィッフィーン』558頁。『アル=イスティアーブ』2巻389頁。『アンサーブ・アル=アシュラフ』322頁。イブン・アビー・ハディド10巻104頁。イブン・カシール7巻275頁その他)

スィッフィーンで殉教したアミール・アル=ムウミニーンのその他の卓越した教友には以下の人びとがいた。
(1) ハーシム・イブン・ウトバ・イブン・アビー・ワッカース・アル=ミルカールはアンマールが殉教した日に殺された。彼はその日、アミール・アル=ムウミニーンの旗手だった。
(2) アブドゥッラー・イブン・ブダイル・イブン・アル=ワルカー・アル=フザッイはアミール・アル=ムウミニーンの右翼の司令官や歩兵隊の司令官を務めた。




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