『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教188 

忠実であること、つかの間の信心 


信心のひとつは、心の中が堅固で忠実であること。 もう一つは、一時的に、特定の間だけ心に留まるもの。誰かの前で自身を放免するのなら、死の接近まで待たなくてはならない。それは義務が放免される制限時間だからである。

移住は当初のまま有効である。アッラーは密かに、また公然と信仰を受け容れる者を必要とされない。移住は地上でアッラーの証拠を受け容れないのであれば誰にとっても適切ではない。かれを受け容れる者は誰もがムハージルーン(移住者)なのである。イスティディーフ(移住の義務を免除されること)はアッラーの証拠が届いてそれを聞いて心に保つ者にはあてはまらない。〈注〉

「わたしが居なくて困る前にわたしに尋ねなさい」との促し、 ウマイヤに関する予言

誠に、我々の状態は複雑で困難なものである。誰もそれに耐えることはできない。
アッラーに信心を試された、信ずる者を除いては。我々の伝承は保持されないだろう。
信頼できる心と確固たる確かな理解力(知性)の人びとを除いては。
おお、皆の者よ! わたしが居なくて困る前にわたしに尋ねなさい。わたしは確かに地上の通路よりも天の通路に精通している。あの悪影響がその足元に飛びかかる前に。その悪影響は鼻輪さえも踏みつけ、人びとの知性を破壊する。



〈注〉これは聖クルアーンにある「ムハージルーン」と「ムスタドゥアフ」(弱められた)の解釈である。

自分自身を損なっているところを天使に召された人々に(天使は)言う。「あなたがたはどうしていたのか。」かれらは(答えて)言う。「わたしたちは地上で弱く、痛めつけられていました。」その時かれら(天使)は言う。「アッラーの国土は広大ではなかったのか、あなたがたはそこに移り住めたではないか。」これらの者の住まいは地獄であろう。何と悪い帰り所であることよ。只(本当に)弱かった男女と子供たちは別である。かれらは(自ら避難する)手段を見い出すことも出来ず、また道へも導かれなかった。これらの者には、あるいはアッラーの御許しがあろう。アッラーは、罪障を消滅なさる御方、度々御赦しなさる御方である。 (4章97−99節)

アミール・アル=ムウミニーンがここで言わんとしたのは、ヒジュラ(移住)は聖預言者の時代だけの義務なのではなく、その義務は永遠にあてはまるものであるということだった。この移住は今でもアッラーの証拠、真の教えに到達するための義務である。したがって、アッラーの証拠に到達しそれを信じるのであれば、その土地で不信心者の真っ只中にいたとしても、移住の義務は課せられない。

ムスタドゥアフ(弱められた者)とは不信心者の中に住み、アッラーの証を知らされることから遠くにおかれた者で、アッラーの証拠に到達するために移住することができない者のことである。




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