『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教175 

説教 


おお、被造物よ! アッラーの御言葉から益を求め、アッラーの警告を受け取り、アッラーの忠告を受け容れなさい。なぜならアッラーは明白な導きによってあなた方に一切の言い訳を残させず、あなた方の前に抗弁を置かれ、あなた方が従い、また避けることができるように、かれの御好みになる行為と嫌われる行為が何かを明確にさせた。アッラーの預言者はこう言われたものである。「天国は不愉快なことに囲まれるが、地獄は欲望に囲まれる」

アッラーへの服従の一つひとつは表面では不愉快なものにみえるが、不服従の一つひとつは表面では楽しいものにみえるということを知れ。アッラーは自身の欲望から離れ、心の欲求を追い立てる者の上に慈悲を御与えになる。なぜならこの心には遠い目的があり、欲望を通して不服従を求め続けるものだからである。 

おお、アッラーの被造物よ、あなた方は知っておかねばならない。信ずる者は毎朝、毎晩、自分の心を疑わなくてはならない。常に心を(欠点のために)非難し、(善行を)与えるよう心に訴えなければならない。あなた方の前に去っていった人びとのようにふるまわなければならない。彼らはこの世から旅人のように去った。距離を行くように踏破して。



聖クルアーンの偉大さ


クルアーンは決して惑わすことのない忠告者、決して誤り導くことのない指導者、決して嘘を
つくことのない語り手であることを知れ。このクルアーン以外の横に座る者はおらず、腰を上げると一つが足され一つが引かれる。
すなわち、導きが付け加えられるか、(精神の)盲目が差し引かれる。
クルアーンの導きの後には誰も何も必要としない。
クルアーンの導きの前には誰も欠乏から自由ではない。
したがって、あなた方の病はクルアーンでの治療を求めなさい。
苦痛はクルアーンに助けを求めなさい。
クルアーンには最悪の病、すなわち不信心、偽善、反抗、誤った導きの治療が含まれている。
クルアーンでアッラーに祈り、クルアーンを愛することでアッラーにすがりなさい。
それを通り抜けて人びとに尋ねてはならない。崇高なるアッラーにすがることほどよいものはない。

クルアーンは仲裁者であり、それによる仲裁は受け容れられる。
クルアーンは証言する語り手である。
審判の日にクルアーンに仲裁される者は、その仲裁が受け容れられる。
審判の日にクルアーンに悪く言われる者はそれに対して証言しなければならない。
審判の日に告知人が告知する。「用心せよ。作物の種をまく者は皆、苦境にある。クルアーンの種まきを除いては」
したがって、あなた方はクルアーンの種まきをする者とその従者の一人であれ。
これをアッラーへの導きとしなさい。自身のためにそれの忠告を求めなさい。
それに反する自身の見解に頼ってはならない。
クルアーンに関してあなた方の欲望は欺きであると思いなさい。



信ずる者とその善行、似非信者とその悪行


  行いである! 行いである! その後、終わりを見よ、終わりを見よ。
そして忠実であれ、忠実であれ。その後には、忍耐を実践せよ、忍耐を実践せよ。
そして敬虔であれ、敬虔であれ。あなた方には目的がある。その目的を目指して進め。
あなた方には印がある。その印を案内役にせよ。イスラームには目的がある。
その目的にむかって進みなさい。
アッラーがあなた方に命じた、かれの権利(に対する義務)を果たすことで、かれに向かいなさい。かれはあなた方への命令を言明された。わたしはあなた方のための証言者であり、審判の日にあなた方のために申し立てをすることになろう。

用心されよ! 定められたことは起こった。定められたことは働き始めた。わたしはあなた方にアッラーの御約束と訴えを語っている。

崇高なるアッラーはこう仰せになった。

  本当に「わたしたちの主は、アッラーであられる。」と言って、その後、正しくしっかりと立つ者、かれらには(次から次に)天使が下り、「恐れてはならない。また憂いてはならない。あなたがたに約束されている楽園への吉報を受け取りなさい。(と言うのである)」(聖クルアーン41章30節)

あなた方は「我々の主はアッラーであられる」と言った。ならば、かれの書に、かれの命じられた道に、かれを信仰する高潔な道に、忠実であれ。その後でそれから外れてはならない。それに創意発案を持ち込んではならない。それから顔を背けてはならない。この道から逸脱する者は、審判の日、アッラーの御慈悲を断ち切られるのだから。

あなた方の作法(方法)を破壊したり変えたりしないよう用心せよ。一つの舌を保って。
人は自身の舌を制御しなければならない。舌はその主に対して強情なのだから。
アッラーにかけて。アッラーへの畏怖は自身の舌を制御しないで実践しても益にはならない。
誠に、信ずる者の舌は彼の心の後ろにあるが、似非信者の心は彼の舌の後ろにある。
信ずる者が何かを話すときは心中で何度も考えるからである。
それが良いことなら開示し、悪いことなら隠しておく。
一方、似非信者は自分のためになるか反するかを知らないままで舌が動くのにまかせて話す。

アッラーの預言者―彼とその家族の上に神の祝福と平安あれ―はこう言われた。
「信心は確固たる心がなければゆるぎないものとはいえない。人の心は堅い舌がなければ確固たるものではない」あなた方の中で崇高なるアッラーとの面会を成し遂げる者は、ムスリムの血で手を汚さず、彼らの財産と自身の舌がさらされずに安全であるようでなければならない。



スンナに従い、創意創案を避ける


おお、アッラーの被造物よ。信ずる者は前年に合法としたことを今年も合法としなければならず、前年に非合法としたことを今年も非合法としなければならない。誠に、あなた方に非合法と宣告されたことを、人びとの創意創案で合法にしてはならない。合法とはアッラーが合法と定め、非合法とはアッラーが非合法と定められたことである。あなた方はすでにそれらを試した。あなた方以前の人びとによって説教されている。あなた方のために実例が示され、明白な事実に呼ばれた。このすべてに聾唖でいられるのは死人だけである。このすべてに盲目でいられるのは盲人だけである。

アッラーから試練と経験による恩恵を許されない者が、説教を役に立てることはできない。正面で損失と直面し、悪いことを認め、良いことを否定するだろう。人びとには二種類がある。シャリーア(宗教法)に従う者と、アッラーがスンナの道または哀願の光によって一切証言されなかった創意創案に従う者。



聖クルアーンの導き


栄光のアッラーはクルアーンの実例に沿った助言を誰にでも与えたのではない。
クルアーンはアッラーの強力な綱で、かれが信頼する手段であるから。
クルアーンには心の花、知識の泉がある。
心にクルアーン以外の光沢(説明)はない。それを記憶した人びとは亡くなった。
それを忘れたり忘れたふりをする人びとは残っているのだが。
善をみたときは支持し、悪をみたときは回避しなさい。
神の使徒はこう言われたのだから。「おお、アーダムの息子よ、善行し、悪を避けなさい。そうすることで正しく歩んでいくだろう」

抑圧の種類


不正は三種類あることを知れ。赦されない不正と、問われないで放っておかれることのない不正と、問われずに赦される不正である。許されない不正とは、アッラーを何かと並べることである。アッラーはこう仰せになった。「本当に、アッラーは、(何ものをも)かれに配することを赦されない。」(聖クルアーン4章48節、116節)
赦される不正とは、小さな罪で自身に不正を犯すことである。問われないで放っておかれることのない不正とは、他者に対する不正である。その処罰は厳しい。刀の傷でも鞭打ちでもないが、極めて過酷であるから、ほかのすべてはそれと比べれば取るにたりないものである。
したがって、アッラーの教えに関しては、あなた方の統一のために変えてはならない。あなた方が嫌う権利は、あなた方が好む不正でばらばらにされるよりも良い。誠に、栄光のアッラーは、死人であろうと存命者であろうと誰にも不統一に対して益を御与えにはならない。

おお、皆の者よ。祝福される人とは、自分自身の欠点が他者の欠点探しを遠ざける者である。祝福される人とは、アッラーへの服従で自宅に篭り、自分で食べ、埋葬され、自分の罪を嘆くので、自分自身に忙しくしているので人びとが安心できる者である。




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