『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教197 

 


アッラーは森林の動物の鳴き声も、隠遁した人びとの罪も、深海の魚の動きも、激風による水の上昇も御存知であられる。ムハンマドはアッラーに選ばれ、かれの啓示の伝道者であり御慈悲の使者であることを証言する。



アッラーを畏怖することの利点


そこであなた方に忠告する。アッラーを畏怖せよ。かれはあなた方を最初に創造された御方である。かれはあなた方の帰り処であり、あなた方の目的の成功はかれにある。(御加護を求めるための)あなた方の畏怖の目的なのである。誠に、アッラーへの畏怖は心の病を治す薬、精神の盲目に代わる視力、胸中の悪魔を修正させるもの、心の汚れを浄化させるもの、瞳の暗さに代わる光、心中の恐怖の慰め、無知の陰鬱に代わる輝きなのである。

したがって、アッラーへの服従をあなた方の生き方としなさい。外見の装いだけでなく心の習慣とし、表面的な日課であってはならない。あばら骨から(心臓に)入ってくるのに十分の鋭敏さをもって。あなた方のあらゆる営みに関しての導きとし、(審判の日に)あなた方がかがむ水場、目的達成の執り成し、あなた方が恐れる日の避難所、墓場の中での灯火、長いこと続く孤独の連れ、あなた方の住処での困難からの救出となるようにしなさい。誠に、アッラーへの服従は取り囲む災難、予期された危険、炎をあげて燃える業火からの保護である。

したがって、アッラーを畏怖する者にとって、困難は近付いた後も離れたままであり、問題は辛くなった後で良くなり、(困難の)波は押し寄せた後で引く。苦境は生じた後で心配がなくなり、飢饉が襲った後で寛大の雨がすぐに降り、ひどく嫌がった後で慈悲が屈服し、乾ききった後に(アッラーの)恩恵が湧き出る。そして乏しかった後で祝福が降り注ぐ。だからあなた方を善き忠告で益し、使徒を介してあなた方に説かれ、あなた方への好意を御示しになる御方、アッラーを畏れなさい。アッラーへの信仰に献身されよ。アッラーへの服従を自身の義務として果たしなさい。



イスラームについて


このイスラームは、アッラーがかれのために御選びになった教えであり、かれの目前で発達させ、かれの被造物の中で最善のものとして好まれ、かれへの愛をその柱として確立された。
それを気高くすることで他の教えを退けた。その気高さの前であらゆる共同体に屈辱を与えた。かれの御好意でそれの敵を卑しめ、それにかれの援助を与えて敵対者を孤立させた。
かれは誤った導きの柱をそれの柱で破滅させた。それの貯水槽で喉の渇きを癒させ、それから水を引く者たちを通じてその貯水槽をいっぱいにさせた。

このようにイスラームを御創りになったので、その構成要素を壊すことはできず、つなぎ目は
外れることがなく、柱は腐朽せず、根付いたそれを根こそぎ引き抜くことはできず、時間に終わりはなく、法は無効にならず、小枝を切断することはできず、部分が狭まることはなく、安らぎが困難に変わることはなく、それの清澄が陰鬱に影響されることはなく、まっすぐなそれが曲がってしまうことはなく、その木はねじまがることがなく、その広大な通り道に狭いところはなく、その灯火は消えることを知らない。そして、その甘美に苦さはない。

それはアッラーが真実に即して基礎を築いた柱で成る。その基盤はかれが強化され、その小川の水源は絶えず水がいっぱいで、灯火の光は豊かで、旅人はその灯台の助けで導かれ、
その標識で近道がわかり、その水場は求めて来る者に与える。アッラーはかれの御満悦の
極みを、かれの柱の尖塔を、かれに服従することの卓越を、イスラームに設置された。
したがって、アッラーの前でその柱は強固で、構造は高尚、証拠は輝き、それの火は燃え立ち、権限は強力で、灯台は高く、それを破壊するのは難しい。それ故に、あなた方はそれを崇め、従い、義務を果たし、それに基づいて地位を与えなければならない。



聖預言者について


そこで栄光のアッラーは、ムハンマド―彼とその子孫の上に神の祝福と平安あれ―を真理と共に御遣いになった。この世の破滅が近付き、来世が近付いていた時に。この世の輝きが暗闇に変わろうとしていた時に。住民にとってこの世が厄介になってしまった時に。表面が荒れてしまった時に。荒廃が近付いていた時に。これは(荒廃の)兆しが近づいて、この世の生活が困憊していた頃のこと、この世の住民が堕落し、繋がりは破壊され、営みはばらばらで、この世の標識は衰退し、秘められたことが暴露され、この世の長さが短くなっていた時のことだった。アッラーはその使徒に宣教の責任を担わせ、使徒をその民の自尊心(の手段)とさせ、使徒の時代の人びとの、開花の時期とし、支持者のための威厳の源、彼の援助者の栄誉にさせたのである。



聖クルアーンについて


それからアッラーは聖典を彼に送った。消えることのない光として。輝きが死ぬことのない灯火として。ざわめきのない深い海として。方向を誤り導くことのない道として。暗くならない光線として。議論を弱めることのない(善と悪を)分離させるものとして。基盤が取り除かれることのない明らかにさせるものとして。後で病気の心配のない治療として。支持者が敗北することのない栄誉として。援助者の多くない真実として。
したがって、それは信仰の宝庫かつ中核、知識の源かつ大海、正義の大農園かつため池、
イスラームの礎かつ構造、真実の丘かつ平原、水を引いても空にできぬ海、水を引いても渇かぬ泉、水を求めて来た者に使い果たせぬ水場、旅人がそれを目指せば迷うことのない集結場所、歩く者が見落とさぬ標識、近づく者に超えることのできぬ高地なのである。

アッラーはそれを学識者の喉の渇きを癒すもの、宗教法学者の心の光沢、敬虔な者の通る近道、後で病気にならぬ治療法、闇なき光輝、強く握り締められた綱、上部は難攻不落の砦とされた。そして、それを渡る者の栄誉、それに入る者の平安、それに従う者の導き、それを身につける者の口実、それで議論する者の論拠、それで口論する者の証人、それで議論する者の成功、道を求める者の重荷の運搬者、(誤りの導きに対して)自己防衛する者の盾、注意深く聞く者の知識、それを語る者の価値ある話、判断を下す者の最終決定とされた。




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