『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教113 

禁欲、神の畏怖、来世の用意の重要性 



アッラーに称賛あれ。称賛の後に恩恵とその感謝が続く御方に。
我々はかれの道と共にその恩恵を称賛する。
命令にはすぐに服従しないが思いとどまらされたことでは急ぐ心に対して、かれの御助けを
求める。かれの智に含まれることでは、かれに御赦しを請う。
かれの書に記された知識には省略も削除もない。我々はかれを信じる。
未知のことを見、約束された報酬を得る者のように。
アッラーに配偶者を並べる信仰から離れた、
純潔なる信仰心と、疑惑を取り除く確信をもつ者のように。


証言する。配偶者をもたないアッラーのほかに神はない。
ムハンマドはかれの僕であり預言者である。彼とその子孫にアッラーの祝福がありますように。 この二つの証言は言行を高める。彼らが置かれる秤は軽くならないだろう。
一方、彼らが離されたところでの秤は重くならないだろう。




人びとへの信心の命令


おお、アッラーの被造物よ! 
(来世のための)用意であり、あなた方が帰する場所であるアッラーを畏れるよう忠告する。
用意があなた方を最終目的地に連れて行く。その報酬は成功するだろう。
耳を傾けさせることのできる最良の人がそれを目指して呼びかけ、最良の聞き手がそれを
聞いた。そこで呼びかけ人は宣言し、聞いた人はそれに従って保護した。  

おお、アッラーの被造物よ! 
誠に、アッラーへの畏怖がかれを愛する者を非合法のことから守り、彼らが目を覚まして夜を
過ごし、喉を渇かせて昼を過ごすまで、彼らの心に不安を与えた。
このように彼らは困難を通して安らぎを得た。喉の渇きを通して豊富な水を得た。
彼らは死が近くにあるのだと考えた。だから善行に急いだ。彼らは欲望を拒絶した。
だから視界から死を離さなかった。

この世は破滅、苦難、変化、教訓の場所である。破滅の場では、時の矢が的を逃がさず、
傷は治らない。死が命あるものを苦しめ、病が健康体を苦しめ、苦境が安全を苦しめる。
食べても満足できない。飲んでも喉の渇きがとまらない。
苦難の場では、食べないものを収集し、住まないのに家を建てる。
その後でアッラーの許へ出て行くが、富を運ぶことも家を移動させることもできない。

変化の場では、哀れな者が妬むようになり、妬まれる者が哀れになるのを見るだろう。
富が消えて災難が降りかかってきたために。教訓の場では、突然の死がやって来て、
その人の欲望が実現に近付いているのに、死によって切り離される。
その欲望が満たされることはなく、欲望を抱いた者は容赦されない。
アッラーに栄光あれ。欲望を満たすことで得られる喜びはなんと偽りであることよ。
喉の渇きの癒しとはなんと喉の渇くことであることよ。日陰はなんと照っていることよ。
接近する死を送り返すことはできない。去ってしまう人はもう戻ってこない。
アッラーに栄光あれ。生きている者はなんと死の近くにいることか。
彼はまもなく死者と出会うのだから。死人はなんと生存者から遠くにいることか。
死者は彼から去ってしまったのだから。

誠に、悪の懲罰を除いて、悪ほど卑しむべきものはない。
善の報酬を除いて、善ほど良いものはない。
現世では聞いたことのすべてが見たことより良いが、来世では見ることのすべてが聞いたことより良い。だから、あなた方は見るより聞くことで、また未知の知らせで、自身を満足させなければならない。現世では小さきことが来世でははるかに偉大であり、現世で大きなことが来世では小さいということを、あなた方は知れ。どれだけ多くの場合に小さいことに益があり、大きいことに損失があることか。

誠に、あなた方が行為するよう命じられたことは、あなた方が避けてきたことより広い。
あなた方に合法とされたことは、禁じられたことより多い。
ならば、大きなことのために小さいことをあきらめ、広いことのために制限されたことをあきらめなさい。 アッラーはあなた方の暮しを保障し、あなた方に行為を命じられた。
従って、あなた方に保障されたことの追求を、あなた方に課された行為より優先してはならない。

だが、アッラーにかけて、全く確かなことは、疑惑に追い越されて確信が打ち砕かれてしまったということである。 そして、あなた方に保障されたことがまるで義務のようにみえ、義務とされたことがあなた方から取り除かれてしまった。 だから善行に急げ。死は突然やって来るということを心配しなさい。
なぜなら暮しが戻ってくるのを望めるように年齢の逆戻りは望めないからである。
今日の暮しの欠乏が明日は満たされると望むことはできても、昨日の失われた年齢を今日、
期待することはできない。希望はこれからやって来ることにのみ可能である。
だが、過ぎたことには失望しかない。
だから、「十分な畏敬の念でアッラーを畏れなさい。あなた方は(真の)ムスリムにならずに死んではらない(聖クルアーン3章102節)」




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