『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教221 

クルアーン節の朗誦と説教 


人間よ、何があなたを恵み深い主から惑わせ(背かせ)たのか。 (聖クルアーン82章6節)

(この節で)呼びかけられている者は全く反論できない。その者の言い訳は最大の欺きである。彼は自身を無知の中に監禁している。

おお、人間よ! 何が罪を犯すよう励ましているのか。何がアッラーについてあなたを騙しているのか。何があなた自身の破滅を満足させているのか。病の治療法はないのか?
眠りから覚めないのか?他人にするように自分を哀れみないのか? 普通、太陽の熱にさらされた人を見れば、その人のために日陰をつくってやるだろう。体に苦痛を感じるほど深い悲しみに嘆く人を見れば、その人のために悲しんで涙するだろう。それなのになぜ自分の病を我慢するのか? なぜ自分の苦悩に厳しくするのか? 自分の人生は他の誰のものより大切であるはずなのに、何が自分のために泣かぬように慰めるのか? 自身の罪でアッラーの御怒りに近づいて横たわるのに、なぜ夜に降りかかる病の恐怖があなた方を目覚めたままにさせないのか? 

決意によって心の衰弱という病を治しなさい。不注意な眠りは目覚めることで治しなさい。
アッラーに服従し、かれを思い出すことを好み、かれがあなたに接近されているのに逃げている自分を想像しなさい。かれはあなた方に御赦しを請うよう命じられ、あなた方の過ちをかれの御親切で隠しておられる。それなのに、かれから逃げ、他のものへ向かう。誠に、アッラーは偉大なり。寛大で偉力ある御方であられる。あなた方はなんと卑しく弱いのに、厚かましくもかれに不服従である。あなた方はかれの保護下で生き、その恩恵の広がりの中で人生が移り変わっていくというのに。かれはあなた方への親切を拒否されない。あなた方の保護を取り除かれない。実際、あなた方への恩恵であれ、あなた方の罪を御隠しになることであれ、災難を取り除かれることであれ、あなた方が一瞬でもかれの御親切なしでいられたことはなかった。あなた方がかれに服従していたとすれば、かれについてどう思うのか? アッラーにかけて。もしそうで二人の人間が平等な力をもっていたとすれば(一人は無頓着で、もう一人は自身をひいきする)、自分が悪行する人間だと最初に判断したのはあなた自身だっただろう。

正直に言うが、この世があなた方を欺いたのではなく、あなた自身が欺いたのである。この世はあなた方の前で覆いを開き、すべてを平等にあなた方に暴露した。そして、あなた方の身に降りかかった災難と力の衰えについてあなた方に予言していた。それは本当であったし、約束に忠実だった。あなた方に嘘をつかなかった。欺きもしなかった。そのことであなた方に忠告した人は大勢いるが、彼らが非難された。そのことについて真実を語っているのに抵抗された。この世を、荒廃した、手に届かない力の教訓という手段で理解するなら、それ(現世)は、あなたに親切にしてくれるのだが警戒する人のようであるのがわかるだろう。それは住処として好まぬ者には良い住処であり、永遠の住処とみなさぬ者には良き滞在場所である。

今日、現世から逃避する者だけが、明日、高潔な人としてみなされる。地震が起る時、復活の日がそのすべての激しさをもって接近し、あらゆる信仰の場の人びとがそれにしがみつき、すべての熱心な信者がその信仰の目的にしがみつき、すべての従者が彼らの指導者にしがみつく。その日、目の開きさえ、大地の足跡でさえ、かれの正義と公正により正当に評価される。その日、たくさんの議論が役に立たぬことが証明され、言い訳はきっぱり拒絶される。

したがって、自身のために、今、あなた方がとるべき道は、口実が良いことのためとなり、弁解が証明される道である。この世のつかの間のものからは、来世であなた方に残るもの、あなた方の旅を準備してくれるもの、救済の輝きをじっと見ていられるものを取り出し、(出発の)鞍を用意しておきなさい。




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