『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教121 

ハワーリジュが仲裁の拒否を主張したとき、アミール・アル=ムウミニーンは
彼らの野営に行って話した。



「あなた方全員〈注1〉がスィッフィーンでわたしたちと一緒だったのか?」という問いに対し、
一緒だった者もいればそうでなかった者もいると彼らは返答した。アミール・アル=ムウミニーンが言った。

それでは、あなた方は二つに分かれる。スィッフィーンに加わった者とそうでなかった者とに。
それなら、わたしは両者にそれぞれ忠告する。

この後、彼は人びとに大声で言った。

おしゃべりをやめて、わたしの言うことを静かに聞かれよ。心をわたしの方に向けて。
我々が証拠を求めたら、知っていることを我々に話すように。




この後、彼らとの長い会話があった。そのときの言葉。


策略、悪知恵、計略、詐欺で彼らがクルアーンを掲げたとき、あなた方はこう言ったのではなかったか。「彼らは同胞でイスラームを受け容れた仲間。停戦を求めている。栄光なる神の書で保護を求めている。我々の意見は、彼らに同意して紛争を終わらせることである」
それで、わたしはあなた方にこう言った。「この出来事は、外見は信仰にみえるが、その内側には敵対がある。同情で始まり後悔で終わる。ならば、あなた方は自分の意見に沿って、あなた方の道に忠実でいるべきだ。ジハードに全力をかけて歯を食いしばれ。叫ぶ者〈注2〉の叫びに屈するべきではない。彼は応じられると欺く。応じられなければ面目をつぶすだろう」

しかし、これ(仲裁)が成立したときに、あなた方は同意した。
アッラーにかけて、わたしが拒否していたのであれば、それはわたしの義務ではなかった。
アッラーがその罪をわたしのものとされたのでもなかった。
アッラーにかけて、わたしは受け容れたわけではなかった。
わたし以外に服従されるに値する人はいない。わたしはクルアーンと共にあるからだ。
わたしはそれと連れ添うことにしたときから、それを放棄したことは一度もない。
我々は数々の戦いで預言者と共にいた。
戦いで殺されたのは、我々の父、息子、兄弟、縁者たちだったにもかかわらず、
や困難があるたびに我々の信仰、正道の歩み、神の命令への服従、傷の痛みの忍耐は強まった。

そうなると、我々はイスラームの同胞と戦わなければならなかった。
なぜなら誤り導かれた、不正の、疑わしい、間違って解釈されたイスラームに入ってしまったからである。しかしながら、アッラーが無秩序の我々を集結させ、それにより我々の間に残る共通のことで互いの歩み寄りの方法がみつかった場合には、我々はそれ以外のすべては放棄し、それを受け容れる。


〈注1〉 イブン・アビル・ハディドは、この説教は三部から構成されたものであるが、一つの完成した説教として記録されていないのは、サイード・アル=ラディが一部だけを記録したためだと述べている。拠って、この説教は一続きに記録されたものではない。最初の部分は「応じられなければ面目をつぶすだろう」で終わり、次は「傷の痛みの忍耐は増した」で終わり、最後の部分はここに示した説教の最後までとなる。

〈注2〉 ムアーウィヤとアムル・イブン・アル=アースのこと




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