『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教127 

バスラでの重大な出来事について 



おお、アフナフよ! 彼が軍隊と共に前進するのが見えるようである。
砂埃も吹かず、騒がしい音もせず、手綱のかさかさする音も、馬のいななく声もしない。
彼らはダチョウの足のように地を踏みつけて歩いている。

サイード・アル=ラディの言葉
アミール・アル=ムウミニーンは黒人の族長(サーヒブ・ズ・ザンジ)を指し示した。
〈注〉それからこう言った。

ハゲワシの翼のような翼、像の鼻のような鼻をもつ、街路と装飾された家に居住するあなた方(バスラ市民)の上に災いを。 彼らは殺されても悲しまれず、失跡しても探されない人びとである。わたしはこの世をその顔面にひっくり返し、 この世の低き価値によってのみそれを評価し、
この世に値する眼差しでそれを見る。



同じ説教より
トルコ人(モンゴル人)に言及


わたしにはざらざらの皮で覆われた盾のような顔をした人びとが見える。
彼らは絹と羊毛の服を身にまとい、貴重な、見事な馬を所持する。
負傷した人が死体をまたいで歩き、逃亡者の数が囚われの捕虜より少なくなるまで、彼らの
殺害と流血行為は思うままに行われる。

教友の一人が言った。「信者の司令官よ、あなたは隠れた知識を与えてくれた」
このときアミール・アル=ムウミニーンは笑ってバヌ・カルブの男に言った。

カルブの兄弟よ! これは隠れたことの知識(イルム・ル・ガイブ)ではない。
こういったことを知っていた人(預言者)から得た知識である。
隠れた知識というのは審判の日の知識、アッラーの節にあることをいうのだ。

アッラー、本当にかれ(だけ)が、(審判の)時を知っておられる……(聖クルアーン 31章34節)

従って、子宮に宿るのが男か女か、醜いか美貌か、寛大かけちか、悪いことをする者か敬虔な者か、地獄の燃料になるのは誰か、 天国の預言者たちの教友となるのは誰か、アッラーのみが御存知なのである。これが隠れたことの知識であり、 アッラー以外には誰も知らない。
それ以外のすべてはアッラーが知識を預言者に御授けになり、預言者はわたしにそれを渡してわたしの心がそれを保持し肋骨がそれを維持するように、わたしのために祈られた。


〈注〉アリー・イブン・ムハンマドはレイの郊外ワルザニーン村に生まれ、 ハワーリジュのアザリカ派に属する。彼は自身がサイード(預言者の子孫)であると主張。
ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ムフタフィ・イブン・イーサ・イブン・ザイド・イブン・アリー・イブン・アル=フセイン・イブン・アリー・イブン・アビー・ターリブの息子であると主張した。
しかし、家系図の専門家および伝記作家は、彼がサイードの血筋で父の名ムハンマド・イブン・アフマドではなくムハンマド・イブン・アブドル・ラヒームを授かったという主張を受け容れていない。後者はアブド・ル・カイス族出身でシンディー奴隷として生まれた。
アリー・イブン・ムハンマドはヒジュラ暦255年アル=ムフタディー・ビッラー政権時代に反乱を
起こし、金と富と自由を約束してバスラ郊外の人びとと関与していた。
255年シュッワール月17日にバスラ入りし、わずか二日の間に3万人の男女と子供を殺害し、
極めつけの抑圧、流血、野蛮行為、残忍性を露にさせた。
家とモスクを焼き討ち、14年間続いた殺害と破壊行為の後、ムワッファク・ビッラー政権時代の270年サファル月に殺された。そして民衆はついに破壊行為を追い払うことができた。 アミール・アル=ムウミニーンのこの予言は、未知の知識に光が照らされた予言の一つだった。
彼は馬の鳴き声も武器の音もしないという軍隊の詳細を述べているが、これは歴史上の事実である。
歴史家タバリーの記録によると、アル=カルフ(バグダッドの一地域)に反乱をめざして到達したとき、土地の人びとは彼を歓迎し、一人の男が馬を彼に渡したが、探しても手綱がみつかならなかったので、とうとう綱で馬に乗ったという。また、一時、彼の勢力には剣が三つのみという事態になった。残ったのは彼とアリー・イブン・アバーン・アル=ムハッラビーとムハンマド・イブン・サリムの剣のみであったが、後から武器を略奪して集めた。




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