『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教209 

偽造された伝承と矛盾する預言者の言葉が人々に受け入れられていることについて
問われたとき〈注1〉の言葉


誠に、人びとに受け入れられているものには、正しいものと誤っているもの、真実と過ち、廃止を示すものと廃止されたこと、一般的なものと特定のもの、明白なものと不明瞭なもの、正確なものと推測されたものとがある。
預言者の時代ですら誤りの言葉が彼に帰属されていた。そのために預言者は説教でこう申されたほどである。 「誤りをわたしに帰属させる者の住処は地獄にある」伝承の語り手は四つに
分けられ、それ以上でもない。



(1) 嘘つきの似非信者


似非信者とは、信仰を見せびらかせるものにし、外見がムスリムである者のことである。罪を犯すのを躊躇わず、悪行から離れない。誤ったことをいとわずに神の使徒―彼とその子孫の上に神の祝福あれ―に帰属させる。似非信者と嘘つきであったことを人びとが知っていたなら、そのような者の語りを受け入れたり承認したりしないだろう。

だが、その人(語り手)は預言者の教友で、預言者に会ったことがあり、預言者から聞いて、
預言者から知識を会得したのだと彼らは言う。したがって彼らはその人の言うことを受け入れる。アッラーも似非信者に関しては十分あなた方に警告され、完全に説明なさった。聖預言者の後、彼らは継続し、誤った導きの指導者および誤りと虚偽による地獄の呼びかけ人の地位を得た。それで彼らを高い地位に就かせ、人びとの役人にさせ、財産を蓄積させた。アッラーの保護を受けることができた者以外は、次の世で、人びとは常に支配者と共なのである。これが一番目の伝承の語り手である。



(2) 間違っている(誤解している)人びと


次に、聖預言者の言葉を聞いているのだが、正しく記憶せず、推測した人びとがいる。故意に嘘をついたのではない。その言葉を語り伝え、それに従って行為し、「わたしは神の使徒から聞いた」と主張する。この人が間違いを犯していることをムスリムが知ったなら、この人の語りを受け入れないであろう。この語り手自身が間違いを知るなら、それを放棄するであろう。



(3) 無知なる人びと


  三番目は、預言者が何かを命じられたのを聞いたが、後に預言者がそれを人びとに止めさせたがそれを知らなかった者、若しくは、預言者が何かを止めさせた後でそれを許可されたのに、そのことを知らなかった者。このように、すでに廃止されていることは覚えているのだが、
廃止を語っている伝承を覚えていない。このような人は、廃止されているということを知るときは(その廃止された行為を)拒否するであろう。ムスリムがこの人から廃止されたことを聞いた場合は(その廃止された行為を)拒否するであろう。



(4)正しく記憶している人びと


最後に、四番目の人は、アッラーもしくは聖預言者に対して嘘をつかない人。アッラーを畏怖し、神の使徒を敬うので、偽りを嫌い、間違いを犯さない。預言者から聞いたことを正確に記憶しており、付け加えたり除外したりせず(忘れたりせず)に語り伝える。廃止を命じている伝承を聞いており、それに従って行為する。廃止されたことの伝承を聞いており、(その行為を)拒否する。また、特殊なことおよび一般的なことを理解し、明白なことおよび不明瞭なことを知り、すべてをしかるべき位置に置く。

預言者の言葉には二通りがある。特殊なことと一般的なことである。時として、ある者が預言者の言葉を聞いていたのだが、栄光のアッラーもしくは預言者が何を意味されたかを知らない。
このような場合、聞いた者はその言葉の意味、真の意図、または理由を知らぬままに記憶して伝える。神の使徒の教友全員に、彼に質問したり意味を問うたりする習慣が身についていたわけではない。実際、彼らはいつも遊牧民や知らない誰かがやって来て彼(彼の上に平安あれ)に尋ねてくれたら自分たちもそれを聞くことができると望んでいた。そういったことがわたしに起きたときは、わたしは彼に意味を尋ねて記憶した。以上が人びとの間で異なる伝承が伝えられている理由である。



〈注1〉 アミール・アル=ムウミニーンを介して伝承を語り伝えた一人であるスレイマーン・イブン・カイス・アル=ヒラーリー。




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