『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教102

禁欲と神の畏怖について 



おお、皆の者よ! 禁欲する者のように現世を見つめてみよ。そして、現世を退けなさい。
アッラーにかけて。現世がまもなくその住人を追い出し、幸福と安全を深く悲しませる。
それから離れる者は二度とそこには戻らない。これから何がやって来るかはわからない。
現世の喜びが悲嘆と入り混じる。そこでは人のゆるぎなさが弱く無気力になりがちである。
ここであなた方を喜ばせるほとんどのことがあなた方を惑わせるようではならない。
あなた方を助けるものは、この世にはわずかしかない。 現世で熟考し教訓を得る人に、そして教訓を得て教化された人に、アッラーの御慈悲が惜しみなく与えられますように。
この世に存在するものは何であれ、やがて存在しなくなる。だが、来世に存在するものは何であれ、すでに存在している。 数えられるものはすべて消え去る。期待して待つすべてのことは
やって来るものとして、すぐそこまで来ているものとして受けとめねばならない。




同じ説教より
学識ある人の特質


学識ある人とは己の価値を知る者である。自身の価値を知らぬ者は無知であり続けるのが
ふさわしい。誠に、アッラーに関して最も嫌われる者とは、そのままの自分でアッラーに放置された人である。彼は正道から逸脱し、指針のないままに動く。現世の大農園に呼ばれると活発になるのだが、来世の大農園に呼ばれると鈍い。まるで彼が活発になることは義務で、鈍くなることは義務ではないかのようである。




同じ説教より
未来の時に関して


眠り(無為)の信徒のみが安全でいられる時がやって来る。彼がその場にいても気付かれず、彼がいなくても探されることはない。こういう人びとが導きの灯火であり夜の旅の旗なのである。彼らは秘密を暴露したり誹謗中傷したりしない。彼らはアッラーがその御慈悲の扉を開き、かれの懲罰の耐え難い苦痛から引き離される人びとである。

皆の者よ! 鍋の中身がひっくりかえるように、イスラームがひっくりかえされるときがあなた方の許にやって来るであろう。人びとよ、アッラーが手厳しくなさるかもしれぬことからあなた方は守られている。だが、かれは試練を与えることは容赦なさらなかった。最も崇高なる語り手の
アッラーはこう仰せになった。

本当にこの中には(理解ある者への)種々の印がある。われは(人びとを)試練するものである。(聖クルアーン23章30節)



サイード・アル=ラディの言葉
「クッル・ムーミニン・ヌワマフ」(眠りの信徒)とは、口数が少なく害悪を引き起こさない人のことを意味する。「アル=マサーイーフ」は「ミスヤーフ」の複数形、害悪や中傷で人びとの間に災難を広める者。「アル=マザーイー」は「ミディヤー」の複数形、誰かの悪口を大声で言いふらす者。「アル=ブズル」は「バズル」の複数形、極めて愚劣で愚かなことを口にする者。




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