『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教153 

聖預言者のアフルル・バイトとその敵対者 


理性ある者は目的地を見る。彼は卑しい道も高貴な道も知っている。
呼びかけ人が呼びかけた。羊飼い(指導者)は群れの番をした。
だから呼びかけ人に応じ、羊飼いに従え。

彼ら(敵対者)は混乱の海に入り、スンナの代わりに創意発案にふけった。
その間に、信ずる者は沈み、誤り導かれた者と嘘つきが語る。
我々は近き者、教友、宝の保有者、(スンナへの)扉である。
家は扉を通らなければ入れない。扉でない所から入る者は誰でも泥棒と呼ばれる。



同じ説教より


クルアーンの機微は、彼ら(アフルル・バイト)のことである。
彼らはアッラーの宝である。彼らが語るときは真実を語る。
だが沈黙するときは、彼らが話さないかぎり、誰も話すことができない。
先駆者(先祖)はその民に正しく報告し、叡智を維持し、来世の子の一人でなければならない。彼はそこからやって来て、そこへ戻っていくのだから。

心で見、眼を使って行為する者の最初の行為は、その行為が彼に逆らうものか彼のために
なるものかの判断だった。
彼のためになる行為であればそれに従事するが、逆らうものであれば離れる。
知識をもたずに行為する者は、道のないところを進む者のようである。
道から逸れると目的地から遠ざかる。
知識に基づいて行為する者は明瞭な道を進む者である。
従って、隠れた危険が見える者は進むべきか戻るべきかがわかる。

あらゆるものの外側には同じように内側があるということも知りなさい。
外側が良いものであれば、その内側も良い。外側が悪ければ、その内側も悪い。
誠実な預言者(彼とその家族の上に神の祝福と平安あれ)はこう言われた。
「アッラーはその人を愛してもその人の行いを嫌い、その人の行いを愛してもその人を嫌う」
行いの一つひとつは植物のようなものだということも知っておきなさい。
植物には水が不可欠である。水には違いがある。水がよいと植物は元気でその果実は甘い。水が悪いと植物も悪くなり果実は苦い。




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