『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教96 

教友への警告 



アッラーは抑圧者に時間を与えるが、かれに捕らえるのを免除されない。アッラーは抑圧者を彼の通路で見ておられ、窒息する場所で見ておられる。

我が命が横たわるアッラーにかけて。この人たち(ムアーウィヤとその従者)があなた方を圧倒するのはあなた方より彼らに権利があるからではなく、彼らが指導者と不正に急ぎ、あなた方がわたしの権利に関して(従うことに)もたもたしているためである。人びとは彼らの指導者が抑圧されるのを恐れるが、わたしは自分の民に抑圧されるのを恐れる。 

わたしは戦いを呼びかけたがあなた方は来なかった。警告したが聞かなかった。公然と、また内密に呼びかけたが、あなた方は応じなかった。誠実な助言をしたのに、あなた方は受け容れなかった。あなた方は不在であるようにそこにいて、奴隷主であるように奴隷でいるのか? 
あなた方の前で叡智を唱えたが、あなた方は踵を返した。遠くまで届く助言をしたが、あなた方は散らばって逃げた。反乱者に対抗して聖戦を呼びかけたが、わたしが話し終える前にあなた方はサバーの息子たち〈注〉のように四散した。あなた方はあなた方の場所に戻り、あなた方の助言で互いを惑わす。わたしは朝、あなた方をまっすぐにしたが、夕方になるとあなた方は曲がった弓矢の後ろのように元の曲がった状態に戻る。まっすぐにさせる人は疲れ、まっすぐにされる人びとは救い難くなる。

おお、体はここにあるのに分別は不在で希望が消散した者たちよ。彼らの支配は試されている。あなた方の指導者はアッラーに従うのに、あなた方はその指導者に不服従である。
シリアの民の指導者はアッラーに不服従なのに、彼らはその指導者に服従する。アッラーにかけて、ディナールとディルハムを交換するように、ムアーウィヤとわたしが交換できたらよいのに。そうすれば、あなた方の中から10人を彼がわたしから受け取り、わたしは彼らから一人を受け取るのだが。

おお、クーファの民よ。わたしはあなた方のことで3つを体験し、また別の2つのことを体験した。あなた方は耳があって話すことができるのに聾唖で、目があるのに盲目である。あなた方は戦いでの真の援助者ではなく、困難のときに頼れる兄弟ではない。あなた方の手は大地の土で汚されるだろう。おお、番人がいなくなった駱駝のような人びとよ、彼らが一方で集められると、もう一方から散らばっていく。アッラーにかけて、わたしには想像できる。戦いが激しくなって動きが勢いを増すと、あなた方がアビー・ターリブの息子から逃げ出すのが。まるで前で裸にされた女のように。わたしは確かに我が主(アッラー)の明白な導きの上にいる。預言者の道に立つ。正道に立って、常に従う。




聖預言者の家族について


預言者の家の人びとを見よ。彼らの指示に従いなさい。彼らの足跡に従いなさい。彼らは決してあなた方を導きの外にやりはしない。決してあなた方を破滅の中に放り込まない。彼らが座れば、あなた方は座りなさい。彼らが立ち上がれば、あなた方も立ち上がりなさい。彼らを追い越してはならない。さもなければ、あなた方は逸脱する。彼らに立ち遅れてはならない。さもなければ、あなた方は破滅する。

わたしは預言者の教友を見てきたが、彼らに似た人はいない。預言者の教友は(困難で)髪と顔に砂がついて一日が始まり、礼拝でひれ伏したり立ったりして夜が過ぎた。時には額を、時には頬を地につけて。復活のことを思い出して彼らは燃える石炭の上に立っているようであった。彼らの目と目の間には、長いことひれ伏したために、山羊の膝のような印があった。アッラーを言及されたときは、着物の襟がびしょ濡れになるほど彼らの目から大量に涙があふれ出た。嵐の日に木が揺さぶられるように、彼らは懲罰の恐怖と報酬の希望で震えた。



〈注〉サバー・イブン・ヤシュジュブ・イブン・ヤッルブ・イブン・カサーンはサバー族として知られている。この一族が預言者の嘘をつき始め、彼らがぐらついていたとき、アッラーは彼らに洪水をもたらし、畑が浸水し、土地を追われてよその町に移住した。この諺はこの出来事から生まれ、今では人びとが散らばって再び集ることが期待できない場合に使われる。




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