『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教17

適任者でないのに法の執行に座する人たちについて


全人類の中でアッラーに最も忌み嫌われる者が二人いる。一人は自分に献身する者。正道から逸脱し、愚かな革新を語り、邪な道への導きを愛する。従って、彼は彼を熱愛する人たちの厄介者である。自分自身を先行者の導きから逸脱させ、彼が生きている間と死んだ後の従者を誤り導く。故に、他人の罪の重みを背負い、自分自身を悪行に巻き込む。

 もう一人は無知を拾い上げる者。彼は無知な人々の中を動き回り、邪悪の真っ只中にいるので感覚が麻痺し、平和の利点に盲目である。同類の人びとは彼を学者と呼ぶがそうではない。彼は早朝から物の収集に出かけるが、彼には豊かさよりも欠乏が優る。汚染された水で喉の渇きを癒し続け、無意味なものの確保を続ける。

 彼は人びとの混乱を解決するための判事となる。不明瞭な問題が提示されると、自己判断の粗末な議論で処理する。そのために自身が正しいか間違っているかがわからないので、蜘蛛の巣にからむように、疑惑という混乱にからまってしまう。自分が正しいときでも過ちを犯すのではないかと心配する。自分が間違っているときは正しければよいがと願う。彼は無知なる者である。無知の中をさ迷い歩き、目的なく暗黒の中を走り続ける馬車に乗っている。知識というものの現実を見つけようとしなかった。風が枯葉を撒き散らすように、彼は伝承を撒き散らす。

 アッラーにかけて。彼には自分にもたらされた問題を解決する能力がなく、任じられた役目に適さない。知らないことには知る価値があるとは考えない。彼の手に届かないことは他の人の手に届くということを認識しない。何かが明確でないときには自身の無知を知っているので無言を通す。失われた魂が彼の下した不正判決に泣いている。不正に処置された財産が彼に不平を言っている。

 無知に生きて、過ち導かれて死んだ人びとのことを、わたしはアッラーに訴える。なされるべき朗唱がなされるなら、彼らにとってクルアーンほど役に立たないものはない。節があるべき場所から取り除かれるなら、彼らにとってクルアーンほど価値あるものはない。彼らには、悪しきものが善、善が悪しきものなのである。




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