『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教33

アブドッラー・イブン・アッバースが言った。アミール・アル=ムウミニーンがバスラ市民を従えて戦いに出発したときのこと。ディカールで民衆の前に姿を見せた時、自分の靴を繕っていたので、わたしが「この靴はいくらでしたか?」と言うと、「今では全く価値がない」と応えてから「アッラーにかけて。わたしが公正を確立させ、過ちを撃退したという事実を除いて、あなた方を統治することよりはるかに価値があったものだが」と言ってから説教した。


誠に、アラブ人の中で書を読み、また預言者性を主張する者がひとりもいなかったときに、アッラーはムハンマド(彼とその家族に神の祝福と平安あれ)を遣わされた。彼は人びとが正しい位置に置かれ救済されるまで導いた。それで彼らの槍(役人)はまっすぐになり、彼らの状態は落ち着いた。

アッラーにかけて、確かにわたしは壁が形になるまで彼らの先頭にいた。弱さも臆病さもみせなかった。現在の行進もそれと同じである。正義がその壁から出てくるまで、わたしは必ず過ちを粉々にさせる。

クライシュとわたしの間には何(衝突の原因)があるのか? アッラーにかけて、わたしは彼らが不信心のときに戦った。彼らが過ち導かれている時には彼らと戦う。彼らにはわたしが昨日行ったことを今日も行う。

アッラーにかけて、クライシュはアッラーが彼らより我々(聖預言者とその子孫)を優先されたことの恨みを晴らそうとしているだけである。だから、彼らがかつての詩人の言葉のようになったらすぐに、我らの領域に彼らを入らせた。

我が命にかけて。あなたは毎朝、新鮮なミルクを飲んでいる。
細かくしたナツメヤシにバターをぬって食べている。
以前になかった気高さを我々はあなたに与え、
純血種の馬と亜麻色の槍であなたを守った。〈注〉





〈注〉この詩に歌われた人物の過去の生活は道徳と物質面において劣っていたのだが、詩人とその部族が最良の手段を彼に与えてやり、状況が改善されたので、この人物は完全に自分を見失い、過去の自分を忘れ、以前からずっとこういう生活をしてきたように思うようになったということを歌ったものである。
アミール・アル=ムウミニーンもこの詩と同じことをクライシュ族に伝えようとした。聖預言者の聖なる娘ファーティマがこう訴えていたように。「おお、皆の者よ・・・・・・あなたがたが火獄の穴の辺りにいたのを、かれがそこから救い出されたのである。(3章103) あなた方は一口の水のように役立たずであった。あなた方は少数だった。一握りの欲張りとせっかちな火花のように。あなた方は足で踏まれた砂のように、踏みにじられていた。汚い水を飲み、なめしていない皮を食べていた。憎まれ蔑まされていた。だが、アッラーがわたしの父(彼とその家族に神の祝福と平安あれ)を介してあなた方を救出された・・・・・・




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