『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教19

クーファのモスクの説教台でアル=アシュアス・イブン・カイス〈注1〉が 「おお信者の司令官よ、これはあなたの徳にはならず不利になる」〈注2〉と異議を 唱えたとき、アミール・アル=ムウミニーンが怒って彼に向かって言った言葉。


何がわたしのためになり何がわたしの不利になるか、どうしてあなたに判るというのか?! 
あなたの上にアッラーと他の人びとの災いあれ。あなたは織工、織工の息子、不信心者の息子、似非信者である。一度は不信心者に囚われ、一度はムスリムに囚われたが、富も家系もあなたを救うことは出来なかった。同族人を斬らせるよう企て死と破滅を招かせた者には、近い人びとから憎悪を一身に受け、遠い人びとから信頼されないのがふさわしい。




サイード・アル=ラディの言葉

 この男は不信心者の時代に一度拘束され、イスラームの時代にも一度拘束されたことがあった。アミール・アル=ムウミニーンが述べたように、彼は同族を戦わせるよう策略した。  
アル=アシュアス・イブン・カイスがヤマーマ族のハリード・イブン・ワリードと対立した時の出来事を言及したものである。同族民を騙して罠をはめ、ハリードに攻撃させたのである。この後、人びとは彼に裏切り者を意味する「ウルフ・アン・ナール」というあだ名で呼んでいた。

〈注1〉 〈注1〉本名はアル=アシュタル・イブン・カイス・アル=キンディ、姓はアブー・ムハンマドだが乱れた髪のためにアル=アシュアス(乱れ髪の人)で知られる。預言者の宣言の後、預言者からイスラーム招待を受けて、同族と共にメッカにやって来た。しかし全員がイスラーム帰依を拒んだ。聖遷後、イスラームが確立して大勢の代理がメディーナ入りするようになり、彼もやって来て預言者に耳を傾けた。キンダ族はイスラームを受け容れた。アル=イスティアーブの著者によると、預言者が去った後、この男は再び不信心者になるが、アブー・バクルのカリフ時代に捕虜としてメディーナに連行され、再びイスラームに帰依したが、この時もみせかけのための帰依だった。シャイフ・ムハンマド・アブドルはナフジュル・バラーガの注釈にこのように記している。

〈注2〉 アブド・アッラー・イブン・ウバッイ・イブン・サルールが預言者の教友だったようにアシュアスもアリーの教友であったが、両者は一流の似非信者だった。

彼はヤルムークの戦いで片目を失った。イブン・クタイバが片目の人物の一覧に彼を載せている。アブー・バクルの姉妹ウンム・ファルワ・ビント・アビー・クハーファはアル=アズディーの妻となったがその後、タミーム・アル=ダーリミーと再婚し、その後三度目にこのアシュアスと結婚した。二人の間にはムハンマド、イスマーイール、イスハークの三人の息子があった。伝記によると、彼女は盲目だった。ハディドはアブドル・ファラジの言葉を引用し、この男がアリー暗殺に等しく関わっていたことを示唆している。

暗殺の夜、イブン・ムルジャムはアル=アシュアス・イブン・カイスの許に来てモスクの隅に座った。フジュル・イブン・アディーがその前を通り過ぎた時、アシュアスがイブン・ムルジャムに「素早くやらないと朝日がおまえに恥をかかせるぞ」と言うのを耳にしたので、フジュルはアシュアスに「片目の男よ、おまえはアリーを殺そうとしているのだな」と言い、アリー・イブン・アビー・ターリブの許に急いだが、イブン・ムルジャムが先を越してアリーを剣で斬り殺した。フジュルが振り返ると人びとが「アリーは殺された」と泣き叫んだ。

イマーム・ハサンを毒殺したのは彼の娘だった。マスゥディーの記述がある。

ハサンを毒殺したのは妻ジャゥダフ・ビント・アル=アシュアスだった。ムアーウィヤが陰謀を企て、彼女にハサンを毒殺すれば10万ディナールを与えてヤジードと結婚させるとそそのかしていた。(ムルージュ・アズ=ザハブ 2巻、650頁)

息子のムハンマド・イブン・アル=アシュアスは、ムスリム・イブン・アキールをクーファで騙してイマーム・フセインがカルバラで殺害された。こういったことがあったにも関わらず、ブハーリー、ムスリム、アブー・ダウード、ティルミディー、ナサッイー、イブン・マジャは、アシュアスが語った伝承を採用した。

〈注2〉ナフラワーンの戦いの後、アミール・アル=ムウミニーンがクーファのモスクで「仲裁」の悪影響について説教していたとき、一人の男が立ちあがって「おお、信者の司令官よ、あなたは我々に仲裁を止めた後で許した。どちらが正しいことなのかわからない」と発言した。アミール・アル=ムウミニーンは手を叩いて言った。「これが確固たる見解を放棄した者の報酬である」つまり、確固とした姿勢と警告を放棄して「仲裁」を主張した己の行為の結果だと告げたのであるが、アシュアスはアミール・アル=ムウミニーンの言葉を誤解して「わたしの心配は仲裁を受け容れたことによる」と解したために、「おお信者の司令官よ、あなたは自身を非難しなければならない」と反論したので、アミール・アル=ムウミニーンはこのように厳しく告げた。

わたしの言うことがあなたにわかるというのか。何がわたしの徳であるか不利であるかをあなたが理解するのか。あなたは不信心者の織工に育てられた息子、似非信者。アッラーと全世界の災いあれ。

 解説者はアミール・アル=ムウミニーンがアシュアスのことを織工と呼んだ理由をいくつか述べている。  一番目の理由。彼の土地では大多数が織物に携わっていて、彼とその父親も織工だった。職業の低さを示してそう呼んだ。ヤマーマ族は他の産業にも携わったが、大多数は織物だった。ハリード・イブン・サフワーンはこう述べる。

織工、革の染め物師、猿の飼育係、ロバの騎手でしかない人びとのことを何と言おうか。ヤツガシラが彼らを見つけ出し、ネズミが氾濫し、一人の女に支配された人たちのことを。(アル=バヤーン・ワット・タビイーン、1巻、130頁)

二番目の理由。「ヒヤーカ」とは体の片方を曲げて歩くことを意味し、高慢なこの男は肩を揺さぶりながら歩いていたので「ハーイイク」と呼ばれていた。

三番目の理由。もっと明確な理由がある。「織工」が低級な人を指す代名詞(ことわざ)に使われていたことから、彼の愚劣さと低級さを示すものだった。

四番目の理由。「アッラーと聖なる預言者に対して陰謀を企む者」との意味合いがあり、これは似非信者の特徴だったからである。ワサーイル・アル=シーア(12巻101頁)にはこうある。

織工が忌むべきものとはイマーム・ジャーファル・アッサディーク以前に言われていたことだが、彼はこの「織工」がアッラーと預言者のことをでっちあげる者のことだと説明した。

「織工」という語の次にアミール・アル=ムウミニーンは「似非信者」という語を用いた。2つの語の間に接続詞がないのは、類似した意味を強調するためである。それで似非信者であること、そして真実の隠蔽が理由でアッラーとあらゆる者の災いを受けるに値すると宣告したのである。アッラーはこう仰せになった。

啓典の中で人びとのためにわれが解明した後で、およそわれが下した明証と導きを隠す者たちは、アッラーの怒りに触れ、呪う者立ちの呪いにも会うであろう。 (2章159節)

この後、アミール・アル=ムウミニーンは、「不信心者のときに囚われの身となり、イスラームに帰依した後もその不名誉から逃れられずに囚われの身となった」ことを述べた。彼の父カイスがバヌ・ムラードに殺され、アシュアスはキンダ族の戦士を招集して三部隊に分けた。自らがその一軍の司令官に立ち、他の二軍はカブス・イブン・ハーニ、アル=カシュアム・イブン・ヤジード・アル=アルカムを指揮官としてムラード族と戦った。しかし不運にもバヌ・ムラードではなくハーリス・イブン・カァブが倒れてカァブ・イブン・ハーニとカシュアム・イブン・ヤジード・アル=アルカムが殺されてしまい、この男は捕虜となった。やがて賠償金の3千頭の駱駝を渡して解放された。「あなたの富も家系もあなたを救うことはできなかった」という表現が示すのは、賠償金による解放のことではなく、同部族の富も地位も囚われの身となるのを防ぐことはできなかったと言っているのである。

二度目に捕虜になったのは、預言者の逝去後、ハドラマウ地域で反乱が起きたときのことである。このときアブー・バクルは知事のジヤード・イブン・ラビド・アル=バヤディー・アル=アンサリーに書簡を送り、土地の人びとに忠誠を誓わせてザカートを収集するよう伝えた。
ジヤードはアムル・イブン・ムアーウィヤの部族のところに出かけてザカートを収集したのだが、シャイターン・イブン・フジュルが所有する体格のよい、すばらしい駱駝を目にして欲しくなり、その駱駝に飛び乗り自分のものにしようとした。他の駱駝を持っていくよう頼まれても同意しなかったので、シャイターンは兄弟のアル=アッダ・イブン・フジュルに助けを求め、この雌駱駝に手を出させないよう説得してもらったジヤードは断固として同意しなかった。そこで彼らはマスルーク・イブン・マゥディー・カリブに助けを求めた。彼は夢中になり、雌駱駝(の手綱を)ゆるめてシャイターンに渡したので、激怒したジヤードは従者を招集して戦いに臨んだ。バヌ・ワリーアの方もこれをうけて対峙するが、ジヤードを倒すことはできなかった。女たちは捕虜となり、財産は略奪された。生存者はアシュアスの保護下に避難するしかなかった。アシュアスは保護するのと引きかえに自分を指導者にならせるよう要求し、彼らが承諾して正式な指導者として即位した。この後、彼はジヤードに対峙するため軍を整えた。

これに対してアブー・バクルがイエメンの族長ムハージル・イブン・アビー・ウマイヤに書簡を送り、代表団と共にジヤードを支援するよう求めた。ムハージル軍がズルカーンにて対峙したのだが、アシュアスは戦場から逃げ出してヌジャイルの要塞に従者と共に隠れた。そして敵に包囲された。アシュアスは装備がないままいつまで隠れていられるか思案し、逃げ道を考えていた。ある夜、彼は陰謀を企て、要塞から抜け出してジヤードとアル=ムハージルと面会し、自分の家族9人を保護してくれたら要塞を開くと約束した。ジヤードたちは同意し、9人の名前を書き出させた。この後、アシュアスは仲間の一団に保護が成立したと伝えて要塞を開かせた。
約束したのにジヤード軍が攻撃してきたので保護の約束の成立を告げると、ジヤード軍がアシュアスとの約束は身内9人だけだと言って名前を書いた一覧を示した。この結果、800人が戦うはめとなり、手を切断された女たちもいた。9人を保護するという約束だったが問題はややこしくなってしまい、アブー・バクルの裁決処分を求めてアシュアスを送還することにした。
彼は鎖につながれてメディーナに送られた。1000人の女の捕虜がそれに従った。移動中、同族の男女が激しく彼を非難して罵った。女たちは「裏切り者」とか「同族人を剣で殺させた男」と彼のことを呼んだ。それなのにメディーナに到着後、アブー・バクルは彼を解放してウンム・ファルワと結婚させた。




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