『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




  




説教3

アシュ・シクシキーヤとして知られる説教


用心されよ! アッラーにかけて、アブー・クハーファの息子(アブー・バクル)はそれ(カリフ)を身にまとった。わたしとそれの関係が粉挽きと軸の関係と同じなのを確かに彼は知っていた。わたしから洪水が流下すると、その鳥はわたしのところまで飛び上がれない。わたしはカリフとの間に幕を垂らして離れた。

  その時、わたしは考えていた。成人が弱り、若者が老いて、真の信者はアッラーとの面会まで(死ぬまで)行いを抑制されるという苦難。この過酷な暗黒の苦難に挑戦すべきなのか、それとも静かに耐えるべきなのか、と。わたしは忍耐がより賢明だとわかった。(苦難のために)眼はちくちくと痛み、窒息しそうであったが、わたしは忍耐を選んだ。わたしが受け継いだものは略奪され、最初の人がなすがままを行った後、カリフ権をイブン・アル=ハターブに引き渡すのを見守った。

   (そしてアル=アッシャーズの詩を朗唱した)
    我が日々は今、
   (困難の中)駱駝の背で過ぎ去るか、
    ジャービールの兄弟ハッヤーンとの交友を楽しむ3日間(の安らぎ)

  奇妙なことに、存命中の彼はカリフの座から免除されるのを望んでいたが、死んだ後のためにもう一人に承認した。誠に彼らはその乳房を完全に二人で分かち合った。この者は、横暴な言葉と荒々しい感触の頑丈な囲いの中にカリフ権を入れた。過ちは多く、拠って弁解も多かった。それと接触した者は、まるで手に負えない駱駝の騎手のようだった。手綱を引っ張ればまさしく鼻は裂けそうで、手綱をゆるめれば落下しそうになる。そのために人びとは無鉄砲と、不正と、剣呑と、逸脱に巻き込まれてしまった。

  それでも長い期間、わたしは困難な試練を耐え忍んだ。そしてついに彼は(死の)道を行き、この問題(カリフ権)を一団に任せた。わたしもその一人とみなされた。しかし、とんでもない! この「協議」とわたしに何の関係があったというのか? 彼らの最初の人に関しては、わたしにどんな疑いがあったというのか? だが、彼らが低い所にいたときは、わたしも低い所にいた。彼らが舞い上がるときは、わたしも舞い上がった。彼らの一人は憎悪でわたしを敵対した。もう一人は義理関係を理由にその反対に傾いて、あれやこれやあった。そして三人目は自分の肥料と飼料の間に立って嘔吐した。彼と一緒に祖父(ウマイヤ)の子供たちも立ち上がり、アッラーの財産を貪った。己の綱を引き裂くまで泉の葉っぱをむさぼり食う、暴食が祟って倒れた駱駝のように。

その時、わたしは何も驚かなかったが、まるでハイエナのたてがみのように群集があちこちから駈け寄ってきたので、ハサンとフセインはもみくちゃになり、わたしの肩掛けは裂かれてしまったほどだった。群集は山羊の群のようにわたしの周りに集まった。わたしが政権を握ると、一党が離れ、別の党は反抗し、残りはまるでアッラーのこの御言葉を聞いたことがないといわんばかりに不正を働くようになった。

来世の住まいとはこのようなもの。われは地上において威張りたがったり、悪を行ったりしない者にこれを授ける。善果は、主を畏れる者にある。(28節83章)

そう。彼らはこれを聞いたことがあり理解していたのだが、世界がきらびやかに見えて、装飾に惑わされてしまった。見よ。種を成長させ、人間を創造された御方にかけて。人びとがわたしの許にやって来なかったなら、支持者があらんかぎりの論議を尽くしていなかったなら、暴君の大食と虐げられた人びとの飢えを識者は黙認すべきでないとのアッラーの御約束がなかったのなら、わたしはカリフの綱を彼の肩に投げたままにしていただろう。最後にカリフだった人を最初の人と同じように扱っていただろう。そうしていれば、わたしの見解ではあなた方のこの世界は山羊のくしゃみも同然だということを、あなた方は見ていたであろう。

(アミール・アル=ムウミニーン〔信者の司令官〕の説教がここまで達した時、イラク人の男が立ちあがり、書いたものを手渡した。アミール・アル=ムウミニーンがそれを読もうとしたときに、イブン・アッバースが「信者の司令官よ、説教を続けてくださらないか」と言うと、彼は「イブン・アッバースよ、それは駱駝の口からあふれ出た泡のようだった」と返答した。イブン・アッバースはこのときほど発言を悔やんだことはなかったという。彼の望んだように、信者の司令官が説教を続行できなかったからだった。)




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