『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




説教86 

敬虔な信者の特質 




おお、アッラーの被造物よ! アッラーに最も近いのは、自身の情熱に負けないで行為する力を与えられた者である。その人の内面は深い苦悩に沈み、外見は恐れで覆われる。彼の心には導きの灯火がともされている。降りかかってくる日のために娯楽をお預けにする。遠くのことを近くとみなし、苦を楽とする。熟視して悟る。アッラーを忘れないで自身の行為を高める。彼が飲む甘い水の水源に容易く到達できるので、満足するまで飲み、分別ある道を辿る。欲望の衣は脱ぎ捨て、信ずる者に特有の唯一の心配事を除いて、不安は取り除く。誤った導きからも、欲望の従者の仲間になることからも、彼は安全である。彼は導きの扉の鍵となり、破滅の扉の錠となる。

彼は自分の道を見ながら歩く。導きの柱を知り、深海を渡る。一番信頼できる支え、最強の綱を握り取る。太陽の輝きのように確信する。栄光のアッラーのために、極めて崇高な行為のために、降りかかるすべてのことを直視し、それに必要なあらゆる処置を取り、自身を整える。彼は暗黒の中の灯火である。あらゆる盲目を払い去る者、不明瞭への鍵、複雑さを取り除く者、広大な砂漠の案内人である。彼が話せば理解され、彼が無言のときにはそうしても安全である。彼はすべてをアッラーのために行う。アッラーは彼を御自分のものとして創造された。故に、彼は信仰の宝庫、地上の幹のようである。彼は正義に従うよう自身に命じた。

公正への第一歩は心の欲望を払い除けることである。彼は正道を説いてその通りに行為する。彼が目指さなかった善はなく、クルアーンの徳に似た場所はどこにもない。従って、クルアーンは彼の指針であり先導者である。クルアーンが彼を下に降ろせば彼はそうする。クルアーンが彼を座らせれば彼は座る。




不信心者の特徴


別の種類の人間は、自身を学識者と呼ぶがそうではない。彼は無知な者から無知を拾い集め、誤り導かれた者から誤った導きを拾い集める。人びとに偽りの綱と不実の言葉で罠をかける。自身の見解でクルアーンを理解し、自身の感情でその権限を奪う。人びとには、大罪を犯しても安全であり深刻な罪を犯してもとるに足りないことに思わせる。疑惑の釈明を待っていると言うが、それに突き刺されたままでいる。創意発案から遠のくと言いながら、実際にはそれにどっぷり浸かっている。人間の姿をしているが、心は獣である。従うべき導きの扉を知らず、誤った導きの遠ざかるべき扉を知らない。これは生ける屍の人びとである。




聖預言者の子孫(イトラ)について


「それなのにあなたがたは(それらのことを信用せず)何処に行くのか。(81章26節)」「どうしてあなたがたは背き去るのか。(6章95節、10章34節、35章3節、40章62節)」 (導きの)旗が立ち、(美徳の)印は明確で、(知識の)光塔は固定された。あなた方の中に預言者の子孫がいるというのに、あなた方はどこへ逸脱して連れて行かれ、どのように分類されるのか? 彼らは公正の手綱、信仰の旗、真理の舌である。あなた方がクルアーンに合意するのと同じ良い位置に彼らはおり、喉の渇いた駱駝が泉に近付くように(導きという喉の渇きを癒すために)近付いていく人々である。

おお、皆の者よ、我々の一人として亡くなられたが死んでいない、我々の一人として死後に朽ちても本当は朽ちていない、最後の預言者の言葉を認めなさい。あなた方は理解しないことを口にしてはならない。正道の大部分はあなた方が否定することなのだから。あなた方が抗論できない人の主張を受け入れなさい。それはわたしである。あなた方以前により重大なもの(アッ・サカル・アル=アクバル、すなわちクルアーン)に従って行為をしたのはわたしではないのか。あなた方の中で、小さい方の重大なもの(アッ・サカル・アル=アスガル、預言者の子孫)を保持するのはわたしではないのか。〈注〉わたしはあなた方に信仰の軍旗を揚げた。あなた方に合法と非合法の限度を教えた。わたしの正義であなた方に安全という服を着せ、わたしの言行で高徳という敷物をあなた方のために広げた。

あなた方にはわたし自身を通して気高い作法を示した。目で見えず、頭で理解できないことに関しては、想像はやめなさい。




同じ説教より
バヌ・ウマイヤに関して


世界はウマイヤに属すると人びとが考え始めるので、彼らの益を惜しみなく浴びせられ、水をそそぐための清らかな泉に連れて行かれ、彼らの鞭と剣は人びとから取り除かれないだろう。しばらくの間は彼らが吸い込み続けると思う者がいるならば、彼らは吸い込んだすべてをそっくり吐き出す。



〈注〉「アッ・サカル・アル=アクバル」は聖クルアーン、「アッ・サカル・アル=アスガル」はアフルル・バイト(聖預言者の家族)を示す。預言者はこう言った。(サカラインの伝承)「あなた方に二つの重大なものを残す。一方はもう一方より重大である。この二つの扱いには十分注意しなさい。」

まず「サカル」には旅の道具という意味がある。旅の道具は非常に欠かせないものなので注意を払って保護される。 二番目は、重要なものという意味がある。極めて重大なことであるから、クルアーンの定めとアフルル・バイトの行為に従う義務がある。拠って、この二つは「重大なもの」と呼ばれる。アッラーはクルアーンとアフルル・バイトを審判の日まで保護するよう配慮されたので、彼らは「サカライン」と呼ばれている。従って、預言者はこの世を去る前に、この二つが彼の非常に重要なものであることを宣告し、人びとに保存するよう命じた。彼らが「サカライン」と呼ばれる三番目の理由は、彼らの純潔と、極めて高い価値を示すからである。




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