『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




アミール・アル=ムウミニーン・アリー・イブン・アビー・ターリブの文書、
敵に宛てた書簡、知事に宛てた書簡、役人の任命書、家族と教友への指示


書簡62 

マーリク・アル=アシュタルがエジプト知事に任命されたとき、 彼を通してエジプト市民に送られた手紙 


栄光のアッラーは、全世界への警告者、全預言者のための証人として、ムハンマド(彼とその子孫の上に神の祝福あれ)を遣わされた。その預言者が息を引き取られたとき、ムスリムは彼の後の権限について争った。アッラーにかけて。預言者が去った後でアラブ人がアフル・ル・バイト(預言者の家の人々)からカリフの権利を奪い取るなど、また彼の後でわたしからそれを取り去ってしまうなど、わたしは一度も考えたことも想像したこともなかった。しかし、忠誠の誓いを立てた相手を、人々が包囲しているということに、突如、わたしは気付いた。

それで大勢の人々がイスラームから元の状態に舞い戻り、ムハンマド(彼とその子孫の上に神の祝福あれ)の教えを破壊しようとするのを目にするまで、わたしはずっと手を引っ込めていたのである。それでわたしは心配したのだ。イスラームとその従者をわたしが守らずにいて背信行為や破滅が発生すれば、あなた方に対しての権限を失うことよりも深刻な打撃となることを。ともかく、あなた方への権限など数日続くだけで、すべては蜃気楼や飛雲のごとく消えてしまうのだ。それでこういったことが発生したときに、不正が破滅し信仰が平安を取り戻すまで、わたしは立ち上がったのである。



同じ書簡より


アッラーにかけて。仮令一人で対戦し、地球の果てまで埋まるほど彼らが大勢だったとしても、わたしは心配でも不安でもなかった。彼らが誤り導かれ、わたしが正しく導かれていることは、わたし自身の中で明確であり、アッラーに確信がある。わたしにはアッラーとの面会とかれの善美の報奨への希望がある。だが、わたしは心配している。愚劣で邪悪な者たちが共同体を支配し、その結果、アッラーの財産を略奪して私有化し、アッラーの人々を奴隷にし、〈注1〉、高潔な人々を敵にして戦い、罪人を味方にするのではないかということを。実際、非合法の飲酒をし〈注2〉、イスラームを利用して益を得るまではイスラームを受け入れなかった者〈注3〉が彼らの中にいるのだ。このようなことがなかったのであれば、あなた方を集結させ、叱責し、動員し、聖戦を呼びかけたりはしなかった。だが、あなた方が拒み、弱さを見せるのなら、あなた方を放っておく。

都市の境界が消え、人口の集中する地域が征服され、財産を略奪され、町と土地に攻撃を受けているのが、あなた方には見えないのか。あなた方の上にアッラーの御慈悲がありますように。立ち上がって敵と戦いなさい。地上に監禁されたままでいてはならない。さもなければ、迫害(抑圧)され、屈辱に苦しみ、あなた方の運命は最悪のものとなろう。戦士は目覚めているものである。彼が寝ていても、敵は眠れないのである。この件に関しては以上である。

〈注1〉ウマイヤの子孫およびアビー・アル=アース・イブン・ウマイヤ(ウスマーン・イブン・アッファーンの祖父、マルワーンのカリフ)の子孫についての聖預言者の言葉に帰する。アブー・ザッル・アル=ギファーリーが語ったところによると、聖預言者はこう言われた。「バヌ・ウマイヤ(の子孫)が40人になったとき、彼らはアッラーの人々を奴隷にし、アッラーの公庫を略奪して自分たちの財産にし、神の書を堕落の種にしてしまうだろう。」(『ムスタドラク』4巻、479頁。『カンズ・アル=ウンマール』11巻、149頁。)

アビー・アル=アースの子孫については、アブー・ザッル、アブー・サイード・アル=フドリー、イブン・アッバース、アブー・フライラその他が報告している。 聖預言者が言った。 「バヌ・アビー・アル=アースの子孫が30人になったとき、彼らはアッラーの人々を奴隷にし、アッラーの公庫を略奪して自分たちの財産にし、神の書を堕落の種にしてしまうだろう。」(アフマド・イブン・ハンバル『ムスナード』3巻、80頁。アル=ハーキム『ムスタドラク』4巻、480頁。イブン・ハジャル『アル=アーリヤ』4巻、332頁。アル=ハイタミー『マジュマ・アズ・ザワーイド』5巻、241、243頁。アル=ムッタキー『カンズ・アル=ウンマール』11巻、148、149、351、354頁。)

聖預言者逝去後のイスラーム史には、聖預言者によるこの予言を証明するに十分の証拠がある。信者の司令官アリーがムスリム共同体を心配したのはこれが理由だった。

〈注1〉 〈注2〉飲酒して酔っ払っていたのはアル=ワリード・イブン・ウクバ・イブン・アビー・ムアイトだった。彼の母親はカリフ・ウスマーンとそのクーファ知事と同一である。アル=ワリードは酔ったままでクーファの中央モスクで朝の礼拝を先導し、聖預言者に教えられた二度のラクアの代わりに四度のラクアをした。共同礼拝にはイブン・マスードといった複数の敬虔な人々がいたのだが、苛立っていたアル=ワリードは、ラクアを四回行った後で、「なんと快い朝だろう! あなた方が同意するのなら、もっと礼拝を長くさせるが」と述べた。
〈注2〉  アル=ワリードの放蕩については何度もカリフに苦情の申し立てがあったものの、しばしば退けられた。聞く耳をもたず、不埒な男をひいきするウスマーンを民衆は非難するようになっていた。この知事が酔って分別を失くしていたときに、知事の手から(指輪につける)捺印を外し取ることに成功し、うまく切り抜けてメディーナに報告したのだが、カリフは同じ母親の知事への処罰を躊躇した。カリフが法を無視したと非難される始末だった。その後でやっと知事に40回の鞭打ち刑が執行されて解任した。だがウスマーンの従兄弟サーイド・イブン・アル=アースが後任者となったため、ウスマーンへの批判は高まった。(アル=バラズリー『アンサーブ・アル=アシュラーフ』5巻、33‐35頁。アッ・タバーリ1巻、2843‐2850頁。イブン・アル=アシール3巻、105‐107頁、その他)
〈注3〉
〈注4〉 〈注3〉現世の利益のためだけにイスラームに帰依していたムアーウィヤのこと。




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