『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




アミール・アル=ムウミニーン・アリー・イブン・アビー・ターリブの文書、
敵に宛てた書簡、知事に宛てた書簡、役人の任命書、家族と教友への指示


書簡46 

アミール・アル=ムウミニーン統治下のバスラ知事ウスマーン・イブン・フナイフ・ アル=アンサリーが晩餐会の招待に応じて参席したことが発覚したときの手紙  


おお、イブン・フナイフよ、あなたはバスラの若者から晩餐会に招待されて駆けつけたと聞いた。様々な彩りの食べ物があなたのために選ばれ、大きな椀が用意された。貧困者を追い出して富者を招く人々の晩餐を受け入れるとは思わなかった。あなたが食べるひと口を見なさい。疑うものには手をつけず、合法と確信できるものを食べなさい。

どの従者にも指導者があり、従者はその指導者の知識の輝きの明かりに頼っているのだということを忘れてはならない。あなたのイマームは、この世の快適さの中から、みすぼらしい布二枚とパン二個で満足している。もちろん、あなたにはできないことだ。しかし、少なくとも、信心、努力、純正、正直さに関して、わたしを支持されよ。アッラーにかけて、わたしはあなたの世界の金を一切蓄えたことはなく、富を貯め込んだこともない。二枚のみすぼらしい布以外の服を集めたこともないからである。

もちろん、我々がこの天空の下で所持したすべてはファダクだった。だが、ある一団はそれに欲を抱き、別の一団は自分たちを制した。なんといってもアッラーは最良の仲介者であられる。
わたしはどうしようか。ファダクか〈注1〉、ファダクなしか。この肉体は明日、墓場に入るのである。その暗黒の中ではもう跡形もなく、消息も消えてしまう。墓が広まっても、掘って墓が開かれても、土石の塊で狭まり、隙間は落ちてくる土で埋まってしまうのだから哀れである。わたしは敬虔な行いに没頭したままでいるよう努める。大変な恐怖の日に、そこが平安の場となり、ぐらつかないように。

わたしが望んでいたら、純粋な蜂蜜、純良な小麦粉、絹の服(といった現世の満足)に向かう道を選ぶことはできた。しかし、ヒジャーズやヤマーマではパンを手にする望みもなく、満足な食事にありつけない人たちがいるかもしれぬのに、わたしが自分の感情に従い、貪欲から良い食事を選ぶことなどできない。周囲には腹をすかせた胃袋、喉を渇かせた肝臓があるのに、満ち足りた胃袋で嘘をつけばよいのか? それとも、こう詠んだ詩人のようになろうか?

満腹な胃袋で嘘をつくという病、あなたにはそれで十分、
あなたの周りでは、干乾びた革を切望する人々がいるというのに。

この世の苦難を人々と分かち合わないで、アミール・アル=ムウミニーン(信者の司令官)と呼ばれて満足すべきだろうか? それとも、人生の困難においての例となるべきだろうか? 
唯一の関心が飼料の家畜、飲み込むことが活動である野生動物のように、良い食事に没頭するために、わたしは創造されたのではない。それ(動物)の胃袋は餌で満たされ、目的を忘れる。わたしは牧草地に野放しにされるべきなのか、それとも誤りの導きの綱を引き寄せるか、
当惑の道を目的なくうろつくべきなのか?

こんなものをアビー・ターリブの息子が食べているなら、その弱さが彼を敵との戦い、勇士との対決に不向きにさせたにちがいない、とあなた方の一人が言うのが見えるようである。覚えておきなさい。最良の木材は森林の木だ。緑の小枝には柔らかい木の皮があり、野生の灌木は燃やすいのに極めて強く、すぐに枯れない。わたしと神の使徒との関係は、一本の枝ともう一本の枝、或いは手首と腕の関係なのである。アッラーにかけて、アラブ人がわたしと戦うために団結してもわたしは逃げ出さない。機会があれば彼らの首を捕らえるために急ぐ。大地の砂の粒が無くなるまで、このひねくれた心とがさつな男の大地を救済することに努めるのは確かだ。



同じ書簡の最終部分


おお、現世よ、わたしから離れなさい。わたしはおまえの落とし穴から離れ、罠を取り除き、滑りやすい場所にうっかり入るのを避けたのだから、おまえの手綱はおまえが背負っている。おまえが冗談で騙した人々はどこか? おまえの装飾物で魅惑した共同体はどこか? 彼らは皆、墓場に閉じ込められ、埋葬場に隠れている。アッラーにかけて。おまえが目に見えるもので、感覚をもつ体だったなら、アッラーが御定めになった処罰を与えていただろう。
おまえが魅了して人々を向かい入れ、おまえが共同体を破滅に放り込み、おまえが支配者に破滅を委ね、行ったり戻ったりできない苦痛の場に追い立てたからである。確かに、滑りやすいおまえの場所に足を踏み入れた人は滑り、おまえの波に乗った人は溺れ、おまえの罠を避けた人は精神的な援助を受ける。おまえから安全でいる人は、その人の物事が制限されていても心配しない。彼の世界は、終わろうとしている一日に似ている。

わたしから離れなさい。アッラーにかけて。おまえがわたしを屈辱するために、わたしがおまえに頭を下げることはないのだから。おまえがわたしを追い払うために、わたしはおまえのために自分の手綱を緩めないのだから。アッラーにかけて。わたしは誓う。アッラーの御意思があるときは除いて。わたしは食事が塩味だけのパン一つで満足するよう自身を訓練するであろう。小川が流れていくように、わたしは自分の目から涙を空にさせるだろう。牧草で腹を満たして横になる牛のように、或いは緑色の草を食べて囲いの中に入る山羊のように、アリーはあるものを食べて眠るであろう! 放し飼いにされた牛や牧草の動物を何年も追いかけていたら、彼の目は絶えてしまうかもしれない。

祝福されるのは、アッラーへの義務を果たし、困難に耐え、夜は己に睡眠を許さず、睡魔に襲われたときは手を枕代わりにして床に横たわり、審判の日を恐れて目覚めたまま、体は寝台から遠く離れ、アッラーを思い出して唇がぶつぶつと動き、御赦しを求める彼らの長い哀願で罪を消される者。これらは、アッラーの一党(信者)の者である。本当に、アッラーの一党の者こそ、非常な幸福を成就する者である。(聖クルアーン58:22)おお、イブン・フナイフよ、だからアッラーを畏怖されよ。そして、自分のパンに満足しなさい。そうすれば地獄から逃げることができるだろう。

〈注1〉このファダクとは、メディーナ近くのヒジャーズにある緑豊かな村のこと。そこにはアシュ・シュムルフという要塞があった。(『ムッジャム・アル=ブルダアーン4巻238頁、アル=ブハーリー『ムッジャム・マスタッジャム』3巻1015頁他』ヒジュラ暦7年にこのファダクはユダヤ人に属していたのだが、和平協定で預言者にその所有権が引き渡された。




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