『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




アミール・アル=ムウミニーン・アリー・イブン・アビー・ターリブの文書、
敵に宛てた書簡、知事に宛てた書簡、役人の任命書、家族と教友への指示


書簡31 

スィッフィーンからの帰路にアル=ハーディリンで野営の際、
息子ハサン・イブン・アリー(彼らの上に平安あれ)〈注〉に書いた手紙  


時の困難を認識し、現世から顔を背け、自身を(災難の)時へ服従させ、この世の悪を認識し、死者の住処で暮らし、いつ去るかわからない、(間もなく)死ぬであろう父より。達成されないのに切望し、欲望に圧倒され、死者の道を歩み、病の犠牲者となり、(不安の)日に巻き込まれ、困難の標的となり、現世の奴隷、詐欺の商人、希望の借り主、免れぬ死の囚人、心配の同盟者、悲嘆の隣人、嘆きの犠牲者である息子へ。

さて、わたしは現世から顔を背けることから自分自身に学んだことがある(ので知っておきなさい)。他の何者でもなく自身を忘れず、自分の外を考えないようにするのには、わたしを猛攻撃する時間と来世の接近で十分だ。とはいえ、他人の心配ではなく自分自身の心配に限ったとき、知性が自己を救い、欲望から守ってくれた。自身の関心事が何かを明瞭にさせ、思慮深さに導いてくれた。そこには誤魔化しがなく、虚偽により退色した真理はない。この場所で、あなたがわたしの分身であることを知った。それどころか、あなたはそっくりそのままわたしなのである。あなたの身の上に何かあれば、我が身に降りかかったのと同じこと。あなたに死が訪れるときは、我が身に訪れたも同然である。必然としてあなたの関心事はわたしの関心事なのである。だから、わたしが生き残ろうが存在しなくなろうが、助言がほしいときの手段となるように、この忠告をあなたのために書き残しておく。

おお、我が子よ、忠告しておく。アッラーを畏れ、その命令に従い、かれを思い出すことで心を満たし、かれに希望を持て。アッラーとの関係ほど信頼できる関係はないのだから、しがみついていなさい。心を説教で引き立て、自制し、揺るぎない信心で奮い立たせ、知恵で啓蒙し、死を思い出させて(心に)屈辱を与え、免れぬ死を信じさせ、この世の不幸を見せ、時間の権威と、昼夜の間に起きる変化の厳しさを畏怖させ、過去の民の出来事を(心の)前に置いて見せ、昔の人々に降りかかったことを思い出させ、彼らの町と廃墟を歩き、彼らが何をし、何から去り、どこに行ってしまい、どこに留まったのかを見なさい。彼らが友の許から去り、孤独のままでいるのがわかるだろう。まもなく、あなたもその一人となる。従って、自分が留まる場の計画を立て、来世を現世と引き換えに売り渡してはならない。

自分の知らないことを議論したり、自分に関係のないことを語るのはやめなさい。逸脱を恐れなければならないような道には近づいてはならない。逸脱することを心配して慎むのは、危険を冒すよりも良いからだ。他人に善行を呼びかけなさい。そうすれば、あなたは善行する人の一人になるだろう。言行で他者を悪行から思いとどまらせなさい。そして悪事を犯す者からは、全力で離れなさい。アッラーのために奮闘しなさい。かれは然るべき御方である。アッラーに関することで、口汚い者の罵りがあなたを思いとどまらせることがあってはならない。正義のためには、どこに危険があろうとも飛び込んでいきなさい。宗教法に関しては洞察力を養いなさい。困難に耐えるよう習慣づけなさい。正道に関しての忍耐は最高の品位なのだから。自身のあらゆることをアッラーに委ねなさい。安全な避難所、強固な守護者に身を任せているのだから。あなたの主のみに希え。かれの手は完全なる無償の与え手であり奪い手なのだから。あらん限りの善を(アッラーに)求めなさい。わたしの忠告をよく理解し、軽視してはならない。知っておきなさい。最良の言葉は益となる。為にならない知識に益はない。利用されない知識を習得するのは不当である。

おお、我が子よ、わたしは年老いて、だんだんと弱ってきているので、急いで遺言してあなたに重要なことを書き残しておくことにした。わたしの胸中を明かす前に死が追いつき、体がやられるように思考に影響があってはならないので。或いは、あなたが感情に押されて、また現世の危害によって、頑固な駱駝のようになってはいけないので。誠に、若者の心は未開墾の土地のようである。蒔かれたものは何でも採りいれる。それで、心が頑なになり精神が囚われる前に、あなたの適切な形成を急いだのである。他者が経験したことの結果をあなたが知性で認め、同じ体験をしなくてもすむように。そうすれば、それらを探求する労苦と試してみる面倒を回避できる。その結果、あなたは我々の経験を知り、我々が見落としたことさえも明瞭になっていく。

おお、我が子よ、わたしの前の人々が達した年齢にはまだ達していないが、わたしは彼らの行為を調べ、彼らの人生で起きた事を熟考した。彼らの一人となってその廃墟を歩いた。実際、わたしが知ることのできた彼らの美徳を通じて、まるでその最初から最後の人々と共に生きてきたようだった。その結果、わたしは汚れた者と清らかな者をはっきり識別することができた。

それらの最も良いことをあなたのために選び、またその重点を集め、その中の無益な点はあなたから遠ざけておく。存命する父親が抱く気持ちで、あなたの養成に努めたい。あなたが年齢を積み重ねながら、現世の舞台に不慣れで、まっすぐな心構えと清らかな心を持つ時期にそうすべきだと考えた。わたしは至大至高の御方に属する神の書とその解釈、イスラーム法とその命令、合法と非合法の教えに沿い、あなたのためにそれを超えぬようにする。ほかの人たちが感情や見解の違いで混乱したようにあなたも混乱してしまうのではないかと心配した。このような警告をあなたにするのは好まないが、破滅から安全と思えないような所にあなたを放置しておくよりも、この見地をしっかりさせておく方がよいと考えた。まっすぐなあなたをアッラーが御助けになり、あなたが意志強固であるよう導かれることを願う。そういうわけで、この遺言状をあなたのために書いた。

我が子よ、知っておきなさい。この遺言で一番に身につけてほしいのは、アッラーを畏怖し、アッラーが義務とされたことを守り、あなたの先祖ならびにあなたの家の高潔な人々の行為に従うことである。あなたが自身に不足すると思うことが彼らにはなく、あなたが自分で望むように彼らはその仕事を遂行したからだ。その後、彼らは学んできた義務を思慮深さで遂行させ、命じられていないことは止まらせた。彼らが習得したようにあなたが知識を習得できず、心がこれを受け入れないのであれば、あなたの探究すべきことは、疑惑の中に陥ったり、口論に巻き込まれたりすることからではなく、理解と学びから始めなさい。

このことを深く調査する前に、アッラーの御助けを求めることから始めなさい。必要な能力を備えるためにアッラーに向かいなさい。疑惑に自身を投げ入れたり、誤りの導きに向かわせたりする、あらゆる嘲りから離れていなさい。わたしが説明したことは、心が清らかで謙虚で、思考がまとまって一つの考えに到達したときにわかろう。だが、あなたが求める、冷静な考察に達することができないときは、盲目の雌駱駝のように地を足で蹴り、暗闇に転がり落ちているようなものである。信仰の求道者は暗闇で手探りしたり、混乱したりしない。これは避けたほうがよい。

おお、我が子よ、わたしの忠告に感謝しなさい。知っておきなさい。死の主は生命の主でもあられ、創造主は死を引き起こす御方であり、破壊させる御方は生命を復活させる御方でもあられ、病を引き起こされる御方はその治療を施される御方でもあられるということを。現世の喜び、試練、審判の日の報酬、かれが御望みになるすべてのこと、あなたが知らないことについて、この世界はアッラーが御創りになったように継続する。この忠告で理解できないことがあるなら、あなたの無知のせいだと思いなさい。生まれ落ちたときは無知で、その後で知識を得るからである。あなたにはわからず、まず視覚が驚き、眼が驚嘆した後で見えるというような事は数多い。従って、あなたを創造し、食べさせ、健康な状態を与えられた御方にすがりなさい。信仰はかれのためになされ、熱望はかれに向けられ、畏怖はかれにかしこまるものでなければならない。

  おお、我が子よ、預言者(彼とその子孫にアッラーの祝福あれ)が栄光のアッラーから受け取ったのと同じように、その教えを受け取った者はいない。だから、あなたの先駆者、救済への指導者として彼を敬いなさい。誠に、わたしは忠告の努めを惜しまない。あなたが試みたとて、わたしがあなたのために有するように、この洞察をあなたの幸福のために自分で習得することはできない。

おお、我が子よ、知っておきなさい。あなたの主に並ぶものがあったなら、その使徒が出現していたことだろう。その使徒の権威と偉力の印を見、功績と特質を知ったはずだ。しかし、アッラーが説かれたように、かれは唯一の創造主であられる。その権威に反論できる者はいないのである。かれは永生、永遠である。始まりはなく、すべての前に在られる。終わりはなく、すべての後に継続なさる。取り巻かれた心や目が証明できるような神性を超越した偉大な御方である。このことを理解したなら、あなたも彼(使徒)によって成されたことをやりなさい。彼もあなたのように慎ましい身分で、権威に欠き、無力が増し、主への服従にかれを強く必要とし、かれの懲罰を畏れ、かれの御怒りを懸念した。かれの御命令は善以外になく、悪以外のことであなた方を慎ませらることはないからである。

おお、我が子よ、わたしは現世とその状態、衰退、消滅について告げた。そして、来世とそこでの人々に何が与えられてきたかを告げた。それに関しての例え話を語ったのは、そこから知識を引き出して行為するためである。現世を理解した人びとは、干ばつでやられた場所を嫌って緑の茂る豊饒の土地に向かう旅人に似ている。旅人は豊作の土地と宿泊所に到着するまでに遭遇する困難、旅の苦労、不快な食べ物に耐え、これらのことで苦痛を感じない。旅費が全く無駄だったとは思わない。目的に近づかせてくれるもの、留まる場所に運んでくれるものほど、旅人が愛するものはない。一方、現世に騙された人々は、緑の茂る場所に居るのにそれを嫌い、干ばつでやられた場所に行ってしまう人々に似ている。居た場所を去り、期待していなかった場所に向かい、到着することほど忌わしい、不愉快なことはない。

おお、我が子よ、他者との取引では、あなた自身が秤になれ。他人には自分が望むことを望み、自分が嫌うことを嫌いなさい。あなた自身が抑圧を好まないのと同じように、他者を抑圧してはならない。自分がうけとった善行を他人にも施しなさい。他人の害になると思うことは、自分にとっての害悪とみなしなさい。他人があなたから受けたいと思うような扱いを、他人から受けとりなさい。知らないことは口にするな。仮令僅かを知っていたとしても。自分が言われたくないことを他人に言ってはならない。

自尊心は作法の逆であり、心の災難である。従って、努力して励み、他人の出納係にならないようにせよ。正道に導かれているのだから、あらん限りアッラーの前では謙虚であれ。
あなたの前には長い道のりと厳しい困難が待っており、そこにおもむくことは避けられない。重荷を軽くして用意の必要品とするのだ。背中の重みが害にならないよう自分の力を超えるほど背負わないようにしなさい。あなたの用意するものを運んでくれる貧窮者に出会ったときは、審判の日、あなたが必要とするときに、あなたの許に返してくれるので、その人に運んでもらいなさい。その用意の中にはあらん限りを詰め込んでおきなさい。後からその人を必要としても捉まらないかもしれない。あなたが豊かである時にあなたから借り、あなたが必要とする時に返済を望む人があれば、その機会を利用しなさい。

知っておきなさい。あなたの前には通り抜けることのできない丘が横たわっている。そこでは耐え難い重荷を背負う人よりも重荷の軽い人の方が良い状態にあり、のろのろ進む人の方が速く進む人よりも悪い状態にある。この道の行きつく先は必ず、楽園か地獄のどちらかである。拠って、下車する前に自分で調査し、降りる前に場所を準備しておきなさい。死後にはもう準備はできないし、現世に戻ることもできないのだから。

知っておきなさい。天地の宝を有する御方は、あなたがかれに祈ることを許され、礼拝の承諾が約束されている。かれに哀願することを命じられたのは、かれがあなたに与えることができるために。かれの御慈悲を求めるよう命じられたのは、あなたの上にかれの御慈悲が与えられるように。かれはあなたとかれの間に何も覆いをされなかった。

かれはあなたが自分のために(かれとの間に)仲介者を得ることを要求されていない。また、あなたが罪を犯してしまったときには、悔悟を阻まれなかった。かれは処罰に急がれない。悔悟を責めず、屈辱を味わうのがより適切である場合にも、あなたに屈辱を与えられない。悔悟を御許しになることでは、かれは無情の御方ではない。あなたの罪については、かれはあなたを厳しく詰問されない。かれの御慈悲があなたをがっかりさせることはない。それどころか、罪を慎むことを美徳とみなされる。あなたの犯した一つの罪は一つとして数えられるが、一つの善行は十として数えられる。

かれは悔悟の扉を御開きになった。従って、かれを呼ぶときは必ず、あなたの呼びかけが聞き届けられ、かれに囁くときは必ず、囁いた者を知っておられる。かれの前にあなたが必要とすることを置き、自分の覆いを取り除き、あなたの心配事をかれに訴えて災難が取り除かれるよう乞い求め、自分の諸事においてはかれの御助けを求め、かれの外には与えることのできない、かれの御慈悲の宝を求めなさい。すなわち、寿命、健康、生活の糧が増すように。そのとき、かれはあなたの手にその宝の鍵を握らせる。そうして、かれに乞い求める方法をあなたに見せられたのである。 

従って、何かを望むときには、かれの恩恵の扉を礼拝で開き、あなたの上に御慈悲の雨を豊かに降らせなさい。祈りがすぐに聞き届けられなくてもがっかりしてはならない。祈りが聞き届けられるのは、あなたの意図に因るからである。時として祈りが遅れて聞き届けられるのは、求める者へのさらなる報酬、また期待する者へのより良い贈り物とする意向があってのことなのだ。時には、乞い求めても与えられないことがあるが、後でずっと良いものが与えられる。或いは、何かを取り上げられてしまうこともあるが、あなたにとってさらに良いことのためなのである。なぜかというと、自身の信仰を破滅させてしまうものを求めることがあるからである。従って、あなたが望むものは、望むものの美が永続し、望むものの重荷があなたから離れているものでなくてはならない。富については、それがあなたのために続くことはない。また、あなたは富のために生きるのではない。

おお、我が子よ、あなたは来世のために創造されているということを知れ。現世のためではない。(現世の)破滅は永遠に続くのではない。また、(あなたが創造されたのは)死のためであり、生のためではない。あなたが居る場所は、あなたが所有しているのではない。家は支度をし、来世に向かう通り道なのである。あなたは死に追われているのだ。死からは逃げることができない。確実に、死は逃げる者を追い越す。だから、死のために防備しておきなさい。あなたが罪深き状態にあり、悔悟することを考えながら、あなたと悔悟の間に障害ができている時に、追い越されないために。そのような時には自分を破滅させてしまうだろう。

おお、我が子よ、死をよく覚えておきなさい。突然、行かねばならない場所、死の後で到着する場所のことを忘れてはならない。そうすれば、死がやって来たとき、あなたはすでに防備ができており、準備がある。突然の到来に驚かない。世俗事に魅惑され、それに急ぐ人たちに騙されぬよう用心せよ。アッラーがそのことを警告なさり、この世は死を免れぬ性質であることを現世があなたに告げ、それの悪を開示している。

誠に、それを追う人々は吠える犬、いがみ合って貪りつく食肉動物に似ている。その中の強者が弱者を次々と喰らい、大きいのが小さいのを踏みつぶす。つながれた牛のような者もいれば、分別を失ってわからぬ方向に走る牛のような者もいる。それは岩だらけの丘をさ迷う災難の群れである。それを引き止める牧者はおらず、生草を食わせる番人もいない。現世は彼らを盲目の路に立たせ、導きの灯台が見えないように彼らの目を奪い取った。それで彼らは途方に暮れて当惑し、楽しみに耽ったのである。彼らはこの世を神にしてしまい、この世も彼らを弄んだ。彼らはそれと戯れ、それの向こうに何があるのかを忘れてしまった。

暗黒はしだいに消えている。腰を下ろした旅人のようで、急ぐ者はすぐに遭遇する。おお、我が子よ、知っておきなさい。夜と昼の馬車に乗っている者は皆、動かないでいても、それに運ばれているのである。彼が停止して休憩していても、距離を埋めている。

肝に銘じておけ。自分の欲望を満たすことはできない。定められた寿命を超えることもできない。昔の人々が通った跡にあなたも立っている。したがって、求めることには慎ましくあれ。収益は節度をわきまえよ。求めることが損失につながってしまうことは度々ある。糧を求めた者が必ず手にできるのではない。慎ましやかな者が皆、損失を被るのでもない。あなたの欲求の目的に連れて行ってくれるとしても、卑しいことからは離れていなさい。自分自身が費やしたことへの見返りはないのである。アッラーがあなたを自由になさったのだから、他人の奴隷になってはならない。悪を通して達成した善に善はないのである。苦難を退けて達した安楽が役立つことはない。

貪欲の使者に運ばれて、破滅の泉に落とされぬよう用心しなさい。自分とアッラーの間に富者がいないようにできるならそうしなさい。どんなときにも、あなたのためにあるものは見つかり、あなたの分け前は手にできるからである。栄光のアッラーから直接受け取るものが少なかったとしても、アッラーの被造物(の義務)から多くを受け取るよりは高貴なことである。そのすべてが(実際には)アッラーからのものだからである。

無言のために損なったことは、話すことで失ったことを確保するよりも修正しやすい。 鍋の中身が何であれ、蓋を閉めれば維持できる。わたしがあなたが他人の手にあるものを探すより、あなたの手にあるものを保つことの方を好む。失望して苦しむ方が他人に求めるよりも良い。清い肉体労働の方が邪悪な富者よりも良い。人は自身の秘密の最良の番人である。人はしばしば自分を害することに励むものである。多くを語る者は無意味なことを言う。熟考する者は悟る。善行する人々とつきあいなさい。そうすれば、あなたもその一人になろう。邪悪な人々から離れていなさい。そうすれば、安全でいられる。最悪の食べ物は非合法のものである。弱者を抑圧するのは最悪の抑圧である。

  寛容が不適切なときには厳しさが寛容である。治療が病で、病が治療であることはたびたびだる。また、不幸を願う人が正しい忠告をし、幸福を願う人が欺くこともたびたびある。希望に頼ってはならない。希望は愚か者の頼みの綱なのだから。自分の経験を忘れないのは賢明である。自分への教訓となるのが最高の経験である。自由な時間が嘆き(の時間)になってしまう前に利用しなさい。求める者が皆、(求めるものを)獲得できるのではない。死者が皆、帰り着くのではない。審判の日に糧を失うことと悪い稼ぎは、破滅を意味する。あらゆる物事には(必然の)結果が伴う。あなたに定められたことは、まもなく身の上に降りかかるのである。商人は危険を担っている。しばしば量の少ない方が多いときより利益になることがある。卑しい援助者に美点はない。疑い深い友にも美点はない。あなたがしっかりとつかんでいる限りは、世間には従順でいなさい。過度の期待をしすぎて自身に危険を背負わせてはならない。敵対心に自身が圧倒されぬよう用心しなさい。

兄弟には忍耐強くありなさい。彼が血縁関係を無視してもあなたは維持しなさい。顔を背けても親切にして近づきなさい。彼が制しても彼のために費やしなさい。彼がよそに逃げても近寄りなさい。彼が無情でもあなたは寛大でありなさい。彼が誤った考えをもっても赦してやりなさい。まるであなたが彼の奴隷、彼があなたの慈悲深い主人であるかのように。だが、これが不適切になされぬよう気をつけなさい。その価値がない相手にそのように振る舞ってはならない。敵を友にしてはならない。あなたの友に反感をもたせてしまうからだ。兄弟には誠実に助言しなさい。それが良いことでも惨いことでも。怒りを飲み込みなさい。最終的にそれより荒立つことがないことを、わたしは知った。結果としてそうすることより満足できることはないのだ。あなたに荒々しくする人には情け深くありなさい。その人はやがてあなたに対して和らぐだろう。敵を好意的に扱いなさい。二つの成功(復讐による成功とえこひいきによる成功)よりも快いからである。

友人から立ち去るつもりのときは、彼がいつの日か友情を回復できるように、あなたの側にいくらかの余地を残しておきなさい。誰かがあなたのことを良く思っているときは、それが真実であることを証明しなさい。あなたとの間柄に頼っている兄弟の関心を無視してはならない。あなたが彼の関心を無視するなら彼はあなたの兄弟ではない。あなたのせいで家庭が最もみじめな人々の場になってはならない。あなたから顔を背ける者に頼ってはならない。兄弟が血縁関係を無視するのが、あなたが血縁関係に敬意を払うのより厳しくてはならない。彼に対しての善行は、害を与えるよりも優っていなければならない。抑圧者の抑圧に深い悪感情を抱いてはならない。その者はただ自分を害するのに忙しく、あなたを益しているだけなのだから。あなたを喜ばせる人の報酬は、あなたがその人を不快にさせることではない。

おお、我が子よ、生活の糧は二種類ある。あなたが求めるものと、あなたを探してやってくるもの。手に取ることができなくても向こうからやってくる。必要な時に屈みこみ、裕福な時に酷なのはなんと悪いことか。この世で持つべきものは、永遠の住処を飾れるものでなければならない。自分の手から離れてしまったもののことで泣くのであれば、まだやって来ていないもののことで泣きなさい。すでに起きたことから、まだ起きていないことを推測しなさい。起こることはいつも似ているからだ。苦痛を与えられないと説教が役にたたないような人々のようになるな。賢者は教えから学び取り、獣は叩かれることからしか学ばない。

堅固な忍耐と純粋な信仰で心配事の猛攻撃をかわしなさい。節度を放棄する者は度を越した行為をする。教友は縁者のようなものである。友達は不在のときでも友情を証明してくれる人である。感情は苦痛の相棒である。しばしば近くの人は遠くにいる人より遠く、遠くの人は近くにいる人より近い。見知らぬ人とは友達のいない者のことである。権利に違反する者は自身の道を狭める。自身の位置に留まる者は常にそこにいる。最も信頼できる仲介者とは、あなたと栄光のアッラーの間に採用した人のことである。あなたの関心事を気にしない者はあなたの敵である。貪欲が崩壊に導くとき、達成されるのは損失である。すべての欠陥を調査することはできない。機会はいつも繰り返されない。

目の見える人が道を見過ごしても、盲目の人が正しい道をみつけることは度々ある。悪行は遅らせなさい。望んでいるときには急いでしまうからである。無知な血族を無視するのは、賢い血族を尊敬するのに等しい。それ(現世)は現世を安全とみなす者を裏切るだろう。現世を偉大なものとみなす者は、それ(現世)に屈辱を与えられる。射る人が皆、的を撃つのではない。権威者が変わるとき時代も変わる。進路を決める前には友に、家を決める前には隣人に相談しなさい。用心せよ。話をする際には笑いを招くようなことは言わないようにしなさい。他人から聞いたことであっても。

女性に相談するな。女性の意見は頼りない。また決断力が不安定である。ヴェールの下に保つことで女性の視線を遮りなさい。厳格なヴェールで彼女たちを長く保つことができるからだ。女性が社交に出ることは、信頼できない男を訪問させるのと同じくらい悪い。あなたの外には知らないでいられるなら、そうしなさい。女性は花であって管理者ではないのだから、女性が自身のこと以外を気にかけないでもいいようにさせなさい。彼女を超える(行過ぎた)心遣いはするな。女性を他者の仲介役に勧めてはならない。不適切に疑ってはならない。正しい女性を悪に導き、貞淑な女性を曲げてしまうからである。

あなたの召使には皆、責任を与えて仕事を定めなさい。そうすることで彼らはひとつの仕事をもうひとつの仕事より優先して仕事を投げ出すようなことはないだろう。血族を尊重せよ。あなたが飛ぶときの翼であり、あなたが戻っていく起源であり、あなたが攻撃するときの手だからである。あなたの信仰生活とあなたの世界を、アッラーの言われた通りのところに置きなさい。そして近くと遠く、世と来世に関して、自身にとっての最善の定めをアッラーに請いなさい。この件に関しては以上である。



〈注〉イブン・マイサム・アル=バフラーニ(5巻2頁)がアブー・ジャーファル・イブン・バーバワイフ・アル=クンミーから引用している。アミール・アル=ムウミニーンはこの忠告の手紙を息子ムハンマド・イブン・アル=ハナフィーヤに宛てたと記しているが、アル=アッラーマ・アッサイード・アル=ラディーはイマーム・ハサン(彼の上に平安あれ)に宛てた手紙であると記している。しかしながら事実は、アミール・アル=ムウミニーンは簡潔に別の忠告の手紙をイブン・アル=ハナフィーヤ宛に書いており、それにはイマーム・ハサンに書いたこの書簡の内容と重複する部分が含まれる。(イブン・ターウース『カシュフ・アル=マハッジャフ』157−159頁。『アル=ビハル』77巻、196‐198頁。)




00889.gif(1103 byte)  書簡32









Designed by CSS.Design Sample