『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)




 ナフジュル・バラーガ Nafj Al−Balagahah
   ---イマーム・アリー・イブン・アブー・ターリブの説教、書簡、格言集 ---




アミール・アル=ムウミニーン・アリー・イブン・アビー・ターリブの文書、
敵に宛てた書簡、知事に宛てた書簡、役人の任命書、家族と教友への指示


書簡28 

ムアーウィヤへの返事
最も格調高い書簡のひとつ  


今、貴方からの手紙が届いた。その手紙で、アッラーがその教えのためにムハンマド(彼とその家族の上に平安あれ)を選ばれ、彼を援助したあの教友たちを介して彼を助けられたことを、貴方は思い起こして語っている。(運命の皮肉で)貴方の奇妙なところは我々には隠されたままである。貴方がアッラーの試練と預言者を通じての恩恵を我々に語り始めるとは。このことでは、貴方はまるでハジャルへなつめやしを運ぶ人、もしくは弓矢で自分の師匠に決闘を挑む者のようだ。

イスラームにおいて最も優れる人々はだれ某たちだと貴方は思っている。貴方の言うことが本当だとしても貴方とは何ら関係がない。本当ではないとすれば、その不足が貴方に影響を及ぼすことはない。誰が優れ、誰が劣り、誰が支配者で、誰が被支配者かという問題が貴方に何の関係があろうか。最初のムハージリーンを見分け、彼らの地位と位階を判断するのに、身を解放された者とその息子に何の関係があるのか。なんと哀れなことよ! 本物の矢ではない矢が音をたて、判定を受ける者が判定を下すために座するとは。おお、人間よ、自分に説得力がなく限界があることを、どうして貴方はわからないのか。自分の度量不足を認識し、宿命が定めた場所に留まらないのか。貴方は挫かれた者の失敗、勝利者の勝利と何の関係もない。

貴方は狼狽して取りとめのないことを言い、正道から逸脱している。気づいておられないのか? わたしは貴方に何も吉報はない。ただアッラーの恩恵を伝えているだけである。すなわち、大勢のムハージリーン(メッカからの移住者)とアンサール(援助者)は、至大なるアッラーの道のために殉教者として倒れた。そのことでは一人ひとりが優れるが、我々の一人が殉教を獲得した場合は、全殉教者の長と呼ばれた。神の使徒(彼とその家族の上に平安あれ)は、その人に七十回のタクビール(アッラー・ワクバル)で特別の栄誉を称えられた。アッラーの道のために多くの人々が手を失った。そのことでは誰もが優れるが、同じことが我々の中の一人に起きたときには、「天国を飛ぶ人」とか「二つの羽を持つ人」と呼ばれたのを御存知ないのか。アッラーが自画称賛を禁じられていなければ、(この手紙の)書き手は、多くの功績を述べたであろう。信ずる者はそのことを熟知している。聞いた者の耳は忘れようとしない。

矢の的を外す人々のことは放っておいたほうがよい。我々は主の恩恵を直接受けた者であり、他の人々はその後で我々から恩恵を受ける。我々の栄誉は古くから確立され、周知の通り、貴方の民より卓越するにもかかわらず、我々はあなた方と交わり、あなた方と等しくないのに、同等のようにあなた方と婚姻を結んできた。我々の中には預言者がいて、あなた方の中にはその妨害者がいる。我々の一人はアッラーの獅子で、あなた方の中には反抗者の集団の獅子がいる。我々の中には天国の若者の長の二人がいて、あなた方の中には地獄の子がいる。我々の中には全女性の最も優れた女性がいて、あなた方の中には薪を背負う者がいる。我々の側には他にも数多くの栄誉があり、あなた方は不足している。それなのに、どうしてあなた方がそうなのか(同等のようであれるのか)。

我々のイスラームは良く知られており、またイスラーム前史の我々(の偉大さ)は否定されることはない。依然として残されたものは、至大至高のアッラーの御言葉で語られている。

……アッラーの定めでは実の血縁関係者は互いに、信仰上の兄弟や移住者よりも親近である……(聖クルアーン33章6節)

また至大なるアッラーはこう仰せになった。

本当にイブラーヒームに最も近い人びとは、かれの追従者とこの預言者(ムハンマド)、またこの教えを信奉する者たちである。(聖クルアーン3章68節)

このように我々は、第一に血縁関係、第二に従順さにおいて卓越する。(バヌ・サイードの)サキーファにてムハージリーンが神の使徒(彼とその家族に平安あれ)との血縁関係でアンサールと競って負かした。その成功が血縁関係に基づいていたのだとすれば、権利があるのはあなた方よりも我々である。そうでないというのなら、アンサールの言い分が勝つ。

貴方はわたしがどのカリフにも嫉妬しており反乱したのだと思っている。仮にそうだったとしても、貴方に対する侮辱ではない。故に、貴方への説明の義務はない。

この問題はあなたに非があるのではない。

(サキーファにてアブー・バクルに)忠誠を誓うために、駱駝が鼻を引っ張られるように、わたしは引きずられて行ったと貴方は申された。永遠なるアッラーにかけて。わたしを罵ろうとしたが、わたしは称賛された。屈辱を与えようとしたが、貴方自身が屈辱を味わったのだ。自分の宗教に疑惑を抱かない限り、自分のゆるぎない信仰心に疑いをもたない限り、ムスリムが抑圧の犠牲者になるのがどんな屈辱を意味しようか! わたしのこの議論は他者に対するものだが、ふさわしければ、貴方への議論でもある。

それから貴方はウスマーンとわたしの地位について語った。この件に関しては、貴方は彼と血縁関係にあるため、貴方には返答する責任がある。では答えてもらいたい。ウスマーンと対立し、彼を暗殺したのは我々のどちらだったのか? 彼に支援を提供しながら彼を座らせて制止したのは誰だったのか? 彼が助けを求められたのは誰で、その求めを無視し、宿命に倒れて彼に死を近づけたのは誰だったのか? いいえ、いいえ。アッラーにかけて。

アッラーは、あなたがたの中(人びとを)引きとめた者、またその同胞に向かって、「わたしたちの方へ来い。」と言った者を知っておられる。またかれらは僅かの間の外、戦場には臨まなかった。(聖クルアーン33章18節)

彼がやったいくつかの創意を容赦するつもりはない。わたしが彼に与えた良い助言と導きが罪だったのであれば、しばし非難を受けた人には罪がない。「良き助言を与えても受ける報酬は(悪の)疑惑だけである」〈注1〉「わたしの請い願うところは、只力を尽くして世の中を矯正することであり、アッラーによる以外にはわたしの成功はないのである。わたしはかれに信頼し、かれに悔悟して返る。」(聖クルアーン11章88節)

わたしとその従者には貴方の剣が向かうだけだと貴方は語った。このようなことは泣いている人を笑わしさえする。貴方はアブドル・ムッタリーブの子孫が戦いから逃げ去り、剣を恐がるのを見なかったのか。「ハマル〈注2〉が戦いに加わるまでもう少し待て」そのときには、貴方が探す相手が貴方のことを探し出し、遠くにいると思っている人が貴方に接近してくるであろう。まもなく、わたしは貴方の方へ急ぐ。ムハージリーンとアンサールの兵力、そして善行で彼らに従う人々を連れて。大勢の人数で。彼らの埃があちこちで舞い上がるだろう。彼らは埋葬布をまとっている。彼らが一番熱望することはアッラーとの面会である。バドルの戦いに加わった人々の子孫が彼らに同行する。彼らにはハシム家の剣がある。貴方はすでにその一撃を、自分の兄弟、母方の伯父、祖父、親族の例で見ている。「それらは、不義を行う者の上にも降りかかるのである。(聖クルアーン11章83節)」



〈注1〉 他人への行き過ぎた忠告は、その忠告が誠実で利己心がなくても、自分のためだと思われるという意味。ここでは格言として使われている。行連句はこうある。   

頻繁にあなたには良い忠告をするのに、その報酬は疑惑ばかり。

〈注2〉ハマル・イブン・バドルの詩。「ハマルが戦場に到着するまでもう少し待て。死はなんと美しきものか、やって来たときは」  マーリク・イブン・ズハイルがハマル・イブン・バドルを戦いで恐がらせたときに、この詩で返事をしてマーリクを攻撃して殺した、というのがこの話の背景にある。これを目撃したマーリクの兄弟がハマルとその兄弟フダイファを復讐して殺した。そのときに次の詩を詠んだ。 「ハマル・イブン・バドルの殺害で我が心は満たされた。フダイファの殺害で我が剣は満たされた」




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