『あなたがた信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、(言行の)誠実な者と一緒にいなさい』

(クルアーン第9章119節)






はじめに

イスラームとムスリムについて知る米国人は非常に少ない。とりわけイスラーム法学派が複数存在することや、スンナ派とシーア派があることを知る人は少ない。

しかしながら、1978年から79年にかけて起きたイラン革命は、ムスリムのニュースとして、
特にシーア派ムスリムのニュースとして、東西の報道機関のトップ記事となった。
これはイランのムスリム人口の大多数がシーアのためである。米国の報道機関はシーアについては簡単に述べただけで、 不正確な情報を伝えたものがほとんどであった。
そこで筆者は本格的な研究に基づいたイスラーム世界のシーア法学派に関する英文の書籍出版の必要性を確信するに至った。

シーア法学派とは、アブー・ターリブの息子、イマーム・アリーの法学派であるから、この偉大なるイマームとその宗教史ならびに政治史の検証は適切であろう。シーア法学の基盤を理解するためには、これが唯一の方法である。

この目的のために、本書を『預言者ムハンマドの兄弟』と題した。
聖預言者ムハンマドが全ムスリムの中からイマーム・アリーを《兄弟の契り》で選び与えた称号である。預言者がこの兄弟の契りで選んだ人はアリーの他にはいなかった。 「兄弟」という称号はイマーム・アリーにとってかけがえのないものだった。公共の場で自分のことを語る際には、まず、全能主のしもべであること、次に預言者との兄弟関係を語るのが常であった。
聖預言者も喜んでアリーのことを「我が兄弟」と呼んでいた。

このイマーム・アリーがムスリムの中で比類なき人物であることにムスリムは誰もが同意する。イマーム・アリーは、幼年期から神の使徒の手で育てられた、唯一のムスリムだった。神の使徒の道徳・価値観を基準に育てられた。そして兄弟として選ばれた人なのだ。

ムスリム学者はスンナ派シーア派を問わず、教友のなかでアリーこそがクルアーンと預言者の言行の最たる知識の持主であることに同意している。アリーは最も豊かな叡智の源であり、誰よりも雄弁家かつ信仰の偉大なる保護者であった。公正さにおいては最も堅固な人、そして誰よりも神の道に献身した人であった。 このような彼の特質はイスラームの基準からしても卓越した人物であることを示す。

クルアーンがこう告げているからだ。
神は怠惰な人間を好まれず、神の道のために奮闘する者を御好みになる。知る者と知らない者は同等ではない。神の御目において、最も貴い人間は、最も敬虔な人である、と。

このことから明らかなのは、スンニ・シーア両派がイスラームのあらゆる信条や預言者ムハンマドの真正ハディースに同意しているだけでなく、法学と宗教においてのイマーム・アリーの地位にも同意しているということである。従って、スンニとシーアが相違を示す場合、それはイマーム・アリーの宗教や法学における地位ではなく、政治的な位置付けといえる。

さて、この二派はアリーが正統なるカリフとして選出されたことには同意している。
同意していないのは、預言者の任命があったかなかったかという点においてである。
任命はなかったと信じる側は、任命があったとの主張を縁故主義として捉える。
だが、預言者がアリーを任命したと主張する側は、縁故主義の逆だと訴える。

また、イスラームの歴史の中で、政治・宗教におけるアリーの政治家としての役割に関して見解が分かれている。アリーが絶対的正義を厳守し毅然とイスラーム法を執行していたことに両派は同意しているが、そういった不動の態度が果たして賢明であったかどうかという点においての見解の相違がある。

政治・宗教における役割についてもう一つ重要なのは、イスラーム国家設立におけるアリーの役割だ。これについては確かな説明がなされておらず、歴史学者の間で本格的な論題として扱われたことがなかった。 宗教の学問におけるイマーム・アリーの位置付けに関してムスリムは同意しているので、彼の生涯のそういった面についての論議は無用であろう。

従って、イマーム・アリーの経歴や、豊富な知識、叡智、雄弁さ、敬虔さ、禁欲、比類稀な功績は焦点におかなかった。本書では、イスラームの政治・宗教上の位置付け、預言者ムハンマドとの精神的関係、イスラーム国家の成立および宗教の浸透におけるイマームの貢献に焦点を絞った。

そこで本書では、カリフとして、また政治家としてのイマーム・アリーを論じる。また、彼の政策、政治的手腕、そして相次ぐ困難からカリフ政権を平穏に持続できなかった原因についても探る。

最後に、本書では宗教制度および政治制度としてのカリフ、そしてイスラームの教えの本質に準じたカリフとは何かについても論じる。

本書は次の4部からなる。
1. 預言者時代のイマーム・アリー
2. 3代カリフ時代のイマーム・アリー
3. イマーム・アリーのカリフ時代
4. イスラーム法におけるカリフと結論

筆者が本書で試みたのは、イマーム・アリーの生涯に起こった歴史的出来事と、預言者の宣言から正統カリフの終わりにかけての53年間の出来事との関係である。 この歴史上の出来事が原因結果の連鎖によって互いに深く関係していることを、すなわち因果関係のあることを、読者は発見されよう。

この時代の歴史を語る上で、筆者は高く評価された歴史書に依存するのではなく、その歴史上の出来事を記録している真正ハディースならびに信頼されている伝承の書を可能な限り紹介したい。その理由は、多くのムスリム学者が歴史書より伝承書に依存しており、有名な伝承本やその他信頼されている書に伝承が記録されている場合はなおさらのこと、伝承本に頼っているからである。

本書は、神との特別な関係にある卓越した人物としてや、奇跡を起こした人物としてのイマーム・アリーを論じたものではない。自然界の法則の下で神の法に献身し、神の教えに服従して生きた一人の人間としてのイマーム・アリーを論じることに努めた。

本書がムスリム間の理解を深め、同胞愛の強化に役立ってくれることを願う。イマーム・アリーの人格と彼の業績に確実に感化されよう。それをムスリムが受け入れることができれば、ムスリムの統一につながるはずだ。

預言者が兄弟として選んだ人の真実の姿は、確かに、ムスリム間の同胞精神と情愛を強化するであろう。

ムハンマド・ジャワド・シューリ




第一部 預言者の時代のイマーム・アリー
一章 預言者ムハンマドの家



※原語のアラビア語から英訳されたものを和訳したものです。









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