アルムラジャッアート(Al-Muraja'at )
正しい道に進むための比較検証
アブドゥ・アル=フセイン・シャラフ・アル=ディン著
ムハンマド・アミル・ハイダー・カン訳
ムハンマド・アミル・ハイダー・カン訳
|||||||| まえがき ||||||||
本書はシーア教義の公正な理解を目的として交換された書簡による問答形式で
成り立つ。
二十世紀初頭、カイロのアズハル大学の長だったスンニ派のアリム、シャイフ・アリ
ム・アル=ビシュリが この議論の提案者だった。
だが、激論という性質のものではなく、シーアの見解を誠実に検証し理解しようという 試みである。
シャイフ・アル=ビシュリが質問を呈示する相手は、当時の高名な学者サイード・アブ
ドゥ・アル=フセイン・シャラフ・ アル=ディンで、ジャバル・アミル(レバノン南部)から エジプトを訪問中(1911〜1912年)にシャイフと出会った。
シャイフは率直で雄弁かつ道理的で学識高いサイードに深い感銘を受けた。
他方のサイードは宣教者として議論の場を設けるための質疑の機会を強く求め、
蓄積してきた知識を開示する機会を切望していた。
このようにして書簡のやり取りが始まった。
サイードは骨を惜しむことなく各質問に回答し、疑惑を払い、誤信を指摘した。
シーア教義のあらゆる権威からの引用、クルアーン、ファクル・アル=ディン・アル=
ラジ、バイダウィ・ザマフシャリーと いった偉大な解釈者を引用した。
そして普遍に受け入れられているスンニ側のブハーリー、ムスリムのサヒーフや
スナン・アブー・ダウード、 ジャミール・ティルミディ、サワッイク・アル=ムフリカ等を
基盤に主張を証明した。
シャイフはすべての書簡を受諾し、言及されていない部分は残すことなく述べるよう
サイードを促した。
書簡の交換は三年半続き、このやり取りの最後は、シャイフがシーア教義に関する
真実を明確にさせたサイードに 感謝して終わった。
この二人の学識者の目的は、一方が他方の弱みを握ってクルアーンとスンナにおける 互いの知識の権力を 争おうというものではなかった。
そうではなく、真理が何かを求め、ロジックに沿った質問に要する沈着な態度で
主張する教義の証拠を開示することだった。
中傷と非難しか残らないような従来の論争から抜け出したのが本書の内容である。
書簡の交換が終了した後、サイードはシャイフの承認を得て1936年、
『アル=ムラージャッアート』の題目で 本書を出版した。
以来、数回にわたり増刷されている。 アラビア語から翻訳された本書の英語の
題名は『『The Right Path(正しい道)』である。
『アル=ムラージャッアート』は多くのムスリム学者に強く影響を及ぼした。
本書が入手可能になり、エジプト、イラン、イラクでは新世代の学者が次々と誕生し、 異なるイスラーム法学派の 歩み寄りが始まった。
これを目的とした組織ダル・アル=タクリブ(平和と理解の住居)がエジプトで結成
された。 その結果、アズハル大学長のシャイフ・ムハンマド・シャルトゥトは1959年、
イスナ・アシャリ法学派 〔シーア・十二イマーム派〕を正式なイスラーム法学の一つと
して認定したのである。
このファトワによれば、ムスリムは誰もがこれを他のスンニ法学派と同じように実践
してもよいことになっている。
『The Right Path(正しい道)』は真実を探求する人への情報の宝である。
但し、本書の書簡の内容は、一般人が理解するためには深く研究を要するが、
学者という有利な立場にあった二人の間の書簡であることを覚えておく必要があろう。
特定の内容を追究したい人のために注釈付の参考文献を付けた。
その大部分はサイード自身による。
参考文献のほとんどはスンニ派によって真正とみなされたものである。
正しき道が何かを理解し、それに従おうとする人が寛大かつ誠実な心をもって
本書を読み進み、 真実を探求されることを切実に願う。
ザハラ出版